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毛利の尼子氏相手の「月山富田城の包囲戦」の二度目は兵糧攻めでした。毛利側は自...

ara********さん

2018/12/817:16:45

毛利の尼子氏相手の「月山富田城の包囲戦」の二度目は兵糧攻めでした。毛利側は自国領がすぐ隣ということで、長期に兵を出していても兵糧の問題はなかったということですか。

秀吉の小田原攻めでは兵糧の補給ルートをきちんと確保したことが勝因の一つとされ、それまでと比較して画期的だったと読んだことがあります。このときが初めてのような書き方でしたので、上記の戦いが気になりました。

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jun********さん

2018/12/818:46:17

兵糧攻め自体は、古来から行われてきた城攻めの手段で、
別に珍しいものではありません。
秀吉の小田原攻めが画期的だったのは、十数万という大軍が、
遠く畿内、西国からも動員されたにもかかわらず、
武器や兵糧の補給が遅滞なく行われた点です。

それまでの城攻めは、せいぜい3~4万の人数で城を囲み、
長期攻囲戦になれば、攻囲軍は交代で自らの領国に帰って、
改めて兵糧を調達して、また城攻めに参加する、
といった方式でした。
従って、攻囲がいつまでも続けば、攻城軍側は経済的負担が増大し、
参加している武将たちの士気はどんどん低下します。

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