ここから本文です

中世ヨーロッパで、ドイツでは王権が弱かったのに、フランスやイギリスでは王権が...

say********さん

2018/12/1217:11:45

中世ヨーロッパで、ドイツでは王権が弱かったのに、フランスやイギリスでは王権が強化されていったのはどうしてなんですか?

大体でいいので教えてください!

閲覧数:
56
回答数:
4

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

bur********さん

2018/12/1309:13:08

(フランスの場合)
カロリング朝断絶の後、パリを拠点とするカペー朝が成立した。カペー朝は脆弱な王朝だったが男子の後継者に恵まれた。一方、地方の貴族の中に断絶する家が少なからず発生し、断絶した貴族の所領が王領となったので、王権が次第に強化されていった。

(イギリスの場合)
1066年のヘースティングズの戦いで、ノルマンディー公ウィリアムが勝って、イングランドを征服した。この征服がイギリス王家の出発点だから、当初から貴族は国王に従属する立場に置かれていた。だから、イギリスの封建制度は当初から特異なもので、「集権的封建制度」といわれている。

(ドイツの場合)
カロリング朝が断絶すると、カロリング家を出したフランク族から王が選ばれた。これをフランケン朝というが、カペー朝と比べて運が悪いことに早々に断絶した。このため国王選挙が行われザクセン族から王が選ばれた。これをザクセン朝というが、ドイツは複数の有力な部族からなっているため、ザクセン朝のオットーは帝国教会政策を実施したり、神聖ローマ帝国を樹立したりして王権の強化を図ったが、結果的にそれが裏目に出て、ドイツの分裂をひどいものにしてしまった。ドイツにおける部族並存状態、教会領の拡大、王家の短命と選挙王政への傾向といったものがからんで分裂が促進された。

質問した人からのコメント

2018/12/14 17:56:04

皆さん教えてくださってありがとうございます!
学んだことを頭の中に入れて、王権の強化の歴史を意識しながらヨーロッパの歴史を勉強していこうと思います。

ベストアンサー以外の回答

1〜3件/3件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

zeu********さん

2018/12/1309:26:08

簡単ですよ。
国内で大きな戦乱が断続的に続き、戦いの中で大貴族や諸侯が没落して、その分、国王の力が伸びたのです。

イギリスですとバラ戦争、フランスですと百年戦争が相当します。

ドイツ(神聖ローマ帝国)ではそれがなかったのです。
また英仏とは異なりドイツは領邦国家であったことも大きな原因です。

領邦国家とは独立した諸侯(日本でいう大名)の連合体のことで、英仏のような単なる貴族とは異なり、一国一城の集合体というのも大きかったです。

met********さん

2018/12/1222:05:50

中世においては、どこの国も王は貴族の一人にすぎません。絶対王政に移行するには、王が外の貴族に比べて圧倒的な力を持つ必要があります。その方法というか、そうなった理由はまちまちです。

イギリスはバラ戦争という内戦で貴族たちが潰しあいで自滅し、漁夫の利を得たテューダー王家が絶対王政を始めました。
周りが自滅した漁夫の利型。

フランスは百年戦争末期に国軍維持の財源として国税を徴収する権利を獲得し、戦後も常設の国軍を維持して絶対王政を開始しました。
王家だけが成長したチャンピオン型。

wak********さん

2018/12/1222:05:07

理由の一つは、ドイツでは選挙王制の伝統が残ったのに対し、英仏では血統原理に基づく王政となったため。イギリスは、さらにノルマンディー公がイングランドを軍事的に征服し、アングロサクソン系の諸侯の上に、征服者でありノルマンディー公の家臣が新たな諸侯として君臨する形になったため。一方フランスでは、カペー朝の王たちは、王位の相続を確実にするために、先王の存命中に、王太子を「共同統治者」の地位につけて王統を繋いで行ったのです。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる