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江戸時代に主要街道には宿場が設けられましたが、この宿場を管理、治安維持などの...

mon********さん

2018/12/1612:18:29

江戸時代に主要街道には宿場が設けられましたが、この宿場を管理、治安維持などの権限は誰が持っていたのでしょうか?

また、宿場のある地域は幕府直轄領なのでしょうか。それともその地の大名の領地なのでしょうか。
東海道の武蔵又は相模国の事例でご教示頂ければ幸いです。宜しくお願い致します。

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ベストアンサーに選ばれた回答

the********さん

2018/12/1817:44:55

五街道や脇往還に指定された川越街道、中原街道、水戸街道などの主要道路を道中奉行管轄とした。宿駅・一里塚の維持。

宿場駅の取締りや公事訴訟、助郷の監督、道路、橋梁、渡船の維持を監督する。のであって、

道中奉行の与力2騎、同心10人が定員でほかに勘定奉行配下から道中方組頭を出してもらっていた(兼職出向き)よう人員しか持たなかったので、

宿場を管理、治安維持などまで十分に監督できたかどうかは怪しい。

宿場駅馬に関しての管理事務でいうなら、
宿場の町役人(地方役人)は、勘定奉行支配の天領代官を通じて、宿屋、駅馬や助け役の(定数)増減の伺いを出している。(宛先は代官所宛て)

質問した人からのコメント

2018/12/22 11:34:21

皆様回答ありがとうございました。おかげさまで問題整理の目途がつきました。
お礼申し上げます。

ベストアンサー以外の回答

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umi********さん

2018/12/2001:16:23

武蔵相模なら治安維持なら関東取締出役が権限(捜査逮捕)を持っていました。
ただし、江戸時代の特徴で権限より身分が優先される二重体制なので関東取締出役より上に代官、更に上に勘定奉行(道中奉行を兼帯)となっていました。勘定奉行すら犯罪の刑罰の決定と執行は決定出来ず更に上の老中による裁可が必要で老中は自分で判断したわけでなく仕置掛奥右筆が実際には審査して指図しました。
つまり治安の権限が現代の警察なら関東取締出役、警察そのものの管理まで含めれば勘定奉行、法の執行まで含めれば老中、になります。
ちなみに治安維持というよりは幕府の権威を守ることが目的です。ないけど

宿場の帰属に関しても江戸時代独特の二重体制が関東はあります。
治安維持なら東海道品川宿で飯盛女の手入したのも例幣使街道の木崎宿に国定忠治の捜査命じたのも関東取締出役ですが品川宿は天領、木崎宿は旗本の私領です。
領地としては小規模の天私領が錯綜して警察力の弱い関東の治安維持のために作り出されたのが関東取締出役ですから天領私領の境界はありません。関東取締出役のサポートのために隣接する土地を組にして各組の治安維持をするために改革組相村制度がつくられましたがこれは天領私領は関係ないもの、というか治安維持のために境界を無視したのです。

zeu********さん

2018/12/1915:53:02

既に解答されている方がいますが、道中奉行です。

道は幕府の管轄なので、宿場はそれに含まれます。

pla********さん

2018/12/1617:41:23

東海道など主要五街道の宿場管理は、幕府勘定奉行配下の代官が権限と支配を委任されていました。例えば東海道の見付宿と袋井宿は遠江国中泉代官所が、島田宿と金谷宿は駿府代官所島田出張所が支配を委任されていました。

kei********さん

2018/12/1612:37:20

1659年に道中奉行が配され、五街道と付属する主要街道を支配しました。記録における初見は1632年にまで遡る事ができるそうですが、一般には1659年とされます。

宿場駅取締り、公事訴訟、道路橋梁、渡船の整備など道中関係全てを差配担当したそうです。
当初は大目付兼任の1名でしたが、1698年からは大目付と勘定奉行から1名ずつの2人制となりました。

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