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劉備が劉璋を攻めることにためらってたのは、「同族の劉璋を攻めることは信義に反...

gra********さん

2019/1/510:59:55

劉備が劉璋を攻めることにためらってたのは、「同族の劉璋を攻めることは信義に反する」からでは無いですよね?劉備はあの段階で何を懸念していたのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

vit********さん

2019/1/516:49:14

①先主曰:「初入他國、恩信未著、此不可也。」
劉備としては「まだ益州に入って恩義を施していないため」として蜀侵攻を逡巡しています。占領統治には益州豪族の協力が不可欠ですので、それがまだ準備不足ということです。実際、調略が十分だったところはすんなりと、不十分だったところでは苦戦しています。

②外部的要因としては魏と呉が戦闘状態に突入していないこと。劉備は魏と呉が戦争状態に突入した隙きに入蜀するつもりで、212年濡須口戦役を待っています。ようは魏と呉にちょっかいを出されないタイミングで侵攻したいのです。

③内部的要因としては関羽の楽進攻めが上手くいっていないこと。襄陽に駐屯している楽進が強すぎて関羽が負け続けているのが懸念材料です。そのまま楽進に侵攻されれば入蜀計画も詰みますので。

まぁいろいろタイミングは考えてはいたでしょうけど、結局張松の売国計画発覚を機会として劉璋攻撃に転じました。調略にもっと時間をかけていれば雒城であれほど苦戦することもなかったかもしれません。

あと、前質問で劉備は侠人だと言いました。侠の精神においては同族よりむしろ他人との繋がりを重視し、儒教的な同族の繋がりを軽視することもあります。「同族の劉璋を攻めることは信義に反する」とかはほとんど考えていないと思います。

質問した人からのコメント

2019/1/11 19:58:38

回答ありがとうございました。

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te9********さん

2019/1/523:30:40

世間体だと思います。

劉備は立ち振る舞い、パフォーマンス
で人や土地を手に入れてきた
経緯があります。

上手く立ち振る舞うと
敵が中立になったり
味方になったりします。

劉璋を攻める際の
世論を気にしたのでしょう

後に劉備は劉璋のほうから無礼を働いた、と
難癖をつけて攻撃しました。

まあほとんど難癖でも
正当化工作もなしに
攻撃を仕掛けるよりは
良かったのだと思います。

パフォーマンスと言えば
張魯から益州を守るという程で
入蜀したので劉璋攻めの最中でも
張魯とは敵対関係を
維持していたと思われます
(霍峻伝などより)

sna********さん

2019/1/513:02:14

それは孫権からの共同作戦の誘いを蹴るための方便でしょう、一緒に攻めれば益州の支配権等で揉めますし、孫呉に単独で攻められると天下二分となってしまします

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