武田勝頼の滅亡は長篠の戦いではなく、上杉氏の家督争いによる後北条氏との手切れですか。 後北条氏との手切れによるものと考えられるのでしょうか。

日本史198閲覧

ベストアンサー

このベストアンサーは投票で選ばれました

0

その他の回答(1件)

2

武田家の滅亡の原因を考えると、私は勝頼よりも、信玄に責任があると考えます。 当時の武田家と織田家では、国力差がかなり開きつつありました。 しかし、信玄は織田家との共存ではなく、戦う道を選びました。 しかも、織田家から嫁を貰ったり、信玄の娘を嫁に出す約束をしておきながら、信玄は突然信長を裏切ります。 この行為に信長は非常に憤慨したようです。 この怒りはついに治まらず、勝頼が織田家との和睦するよう努力をしても、武田と織田との和睦は不可能となりました。 そして、長篠合戦の敗戦により、逆転は不可能となります。 つまり、北条との手切れや高天神城の落城以前に、武田家の滅亡はすでに決定的と言えます。 北条と同盟したままで高天神城が陥落していなくても、織田と仲直りしない限り滅亡は時間の問題であり、いずれ武田は滅亡したでしょう。 まとめますと、武田家の滅亡は信玄が織田家との敵対路線を取ったあたりから始まっており、長篠合戦での敗戦で決定的となりました。 その後の北条との手切れや高天神城の落城などは、もはや滅亡が早くなるか遅くなるかだけの問題です。

2人がナイス!しています