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悟っていると思っているなら、悟っていないのでしょうか?

aru********さん

2019/1/3015:38:43

悟っていると思っているなら、悟っていないのでしょうか?

ここで言う悟りとは、ラメッシ・バルセカールが言っている「自分(行為者、探求者、理解者)はいない」ことの完全な理解のことです。
悟っていると思うなら、悟っている「自分(理解者)」がいるのであり、「自分(理解者)」はいないという完全な理解はありません。同じく、理解していると思っていても理解している「自分(理解者)」がいるのであり、完全には理解していないということになるのだと思います。
悟りとは、「自分(行為者、探求者、理解者)はいない」ことの完全な理解ですから、そこには、悟っている「自分」も理解している「自分」もいないのだと思います。「何かを理解している者などどこにもいない」。
みなさんはどう思われますか?

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hum********さん

編集あり2019/1/3117:28:31

>悟っていると思っているなら、悟っていないのでしょうか?

その悟っていると思っている人間と呼ばれる生物か何らかの個体の自己認識がどうなのかによって判断が分かれるのではないでしょうか。

思考や感情、身体等への同一化から脱していて「自分(行為者、探求者、理解者)はいない」という認識に達している状態にある人間生物の個体が、その状態を「悟っている」と表現したのなら、悟っていると判断してもよいのではないかと思います。


ただし、一旦「自分がいない」という状態になり、基本的な認識としては「自分が居ない」になったとしても、エックハルト・トールのいうペインボディが解消していない場合には、その度合いに応じてエゴを復活させて、エゴが「自分は悟った」と思う可能性があると思います。

  • hum********さん

    2019/1/3113:18:29

    aruさんにお尋ねします。

    ラメッシさんの本は、どの本を読まれましたか?

    私はまだ読んだことがないので、おすすめのものがあったら教えてください。

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2019/2/2 09:58:00

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dri********さん

2019/1/3113:06:20

理解者がいないことの完全な理解はどこにあるのですか。
ロジックの上では「完全な理解」をする「誰か」がいることになってしまって矛盾します。

だからと言って、あなたが探しているものがないとか絵空事だと言ってるわけじゃないんですよ。

その、ラメッシとかいう人は分かってる人なんでしょうか。
詳しく知らないから何とも言えないけれど、多分、普通はそういう言い方はしないと思う。「身心脱落」はわかるんですよ。脱落するんです。あるいは世界が壊れるというのならわかる。世界は崩壊します。
理屈の上で「自分はいない」というのは筋が通っているように思えるし、その線で頑張ればいいとは思う。だけど、ちょっと違うんだよなあ。その日「これがなかった!」というのは自分のほうではないんです。自分もないんだけど、自分がないということは分かってるから、ある意味自分はあるんですよ。

哲学は哲学として、実際には超えないといけない線というのがある。その線を越えるごとに、あなたの問題意識は変わってくると思う。

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ID非公開さん

2019/1/3104:31:30

思いや理解が入る余地はありません。頭で考えない現実です。

twe********さん

2019/1/3021:04:23

>悟っていると思っているなら、悟っていないのでしょうか?

うんにゃ。

蛇足

自分はいないことの完全な理解が悟り、はデタラメ。

imo********さん

2019/1/3020:43:39

ラメッシ・バルセカールは「自分は悟っている」と言っているのでしょうか。そう言ってるのなら、あなたの説では、ラメッシ・バルセカールは悟ってないことになりますね。

悟りは昔から不立文字と言われてます。言葉に表せないのは、悟りが脳の認識を超えた世界に到達することを意味するからです。

あなたの言われる理屈はわかりますが、これはあくまでも、脳の中の世界の理屈です。「自分はいない」というのが完全な悟りと言いますが、「自分はいない」と判断している者はどこにいるのでしょうか。

結局、「無」と言うしかないと思われますが、その「無」と判断する者はどこにいるのでしょうか。つまり、悟りについては何も言えないということになります。

覚者たちは、この言葉にならない悟りを、何とか言葉にしようとしているのです。それは、ラメッシ・バルセカールとて同じです。

zen********さん

2019/1/3016:36:11

悟りとは今ここだけがあって、他には何も無いことです。
私はいないし、他人もいません。
物も無ければ時間もありません。
あるのは今ここだけです。

つまり悟ったという思いは思考であってそんな思いがあるうちは完全な悟りとは言えません。ただし、見性体験(真理の体験のことで、覚醒体験とか一瞥体験などとも言われます)をしたからといってすぐに完全な悟りが開けるわけではありません。悟りの体験は一時的なもので、また人間の世界に帰って来ます。見性した後は悟りを身に付ける為に悟後の修行が必要です。

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