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小林秀雄氏が個性とは、先天的な特殊性を乗り越えたその先にあると仰っていました...

lil********さん

2019/2/1019:45:08

小林秀雄氏が個性とは、先天的な特殊性を乗り越えたその先にあると仰っていましたが、先天的な特殊性の例にゴッホの病気の話をしていました。しかし人間生れつき障害を持つ方が少ないですよね?結局ゴッホの病気の例

を挙げて何を伝えたかったのですか?

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gum********さん

2019/2/1118:42:35

それって結局は芸術の創造性は、ミメーシスから表現に変わったってことによるってことでしょうね。美術史を勉強すれば分かると思いますよ。

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ベストアンサー以外の回答

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jac********さん

2019/2/1110:31:10

「個性とは、先天的な特殊性を乗り越えたその先にある」と小林が説くのは、世間では、「個性とは先天的に賦与された資質である」かのように妄信して疑わない人が多いが、それは人間と他の動物と、あるいは天才と凡才との違いを区別できないからにすぎないと考えてのことです。

まず、モーツアルトやゴッホに限らず、全ての人は、程度の差こそあれ、例外なく何らかの意味での「先天的な特殊性(障害)」を賦与?されてこの世に誕生してきますよね。

で、人間と人間以外の動物との間の最大の違いとは、「先天的な特殊性」という【消極的・受動的】でしかない「個性」を、【積極的・能動的】な「個性」へと変換できるかどうかの違いでしかないと小林は言いたいわけです。

でも、小林のこの考えの原型は、学生時代に仏文科の雑誌に掲載したボードレール論の中にもちゃんと認められます。

>凡そ如何なる芸術家も芸術を型態学として始めるものだ。彼は先づ美神の裡に住むものだ。かゝる世界に於ても芸術家は多少は美しい仕事を残す事が出来る。だが詩歌とは畢に鶯の歌ではない。やがて強烈な自意識は美神を捕へて自身の心臓に幽閉せんとするのである。この時意味の世界は魂に改宗的情熱を強請するものとして出現する。僕は信ずるのだがこれ先に一目的に過ぎなかつた芸術を自身の天命と変ぜんとするあらゆる最上芸術家が経験する一瞬間である。(「『悪の華』一面」『仏蘭西文学研究』昭2)

もちろん、「詩歌とは畢に鶯の歌の産物ではない」とは、「本物の芸術とは先天的な特殊性(消極的・受動的「個性」)の産物ではない」という意味ですよね。

そう、ゴッホにしろ、モーツアルトにしろ、自らの「先天的な特殊性」の下僕、奴隷としてではなく、「一目的に過ぎなかつた芸術を自身の天命(宿命)」に変換したとき、はじめて積極的・能動的な、つまり、本物の「個性」になり得たのだ、と。

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mod********さん

2019/2/1103:38:03

書き手に「(他人に)何かを伝える」という目的が常にあるとはかぎらないと思います。「随筆」とはそういうものでしょう。小林秀雄の雑感・独り言を聞いて何を考えるかは読者の勝手でしょうし、そもそも何かを考えなきゃいけないわけでもない。

「個性」については、当然、小林は「先天的な障害を持たないものにおいて、個性は生まれ得ない」などと言いたいわけではなく、誰しも先天的な特殊性(平易に言えば「癖」のようなもの)を持つわけで、それを自覚し、対峙し、付き合い、場合によっては戦い、結果として自ずから「個性」がでてくる、という感じのことを言っているのかなぁと思います。特段、難しいことは言っていないと思います。
(ただし、その「個性」が他にも多数ある個性の中から際立つものになるかは別の問題でしょう。普通、「個性」は他の個性と似たり寄ったりですから。)

基本的に「例示」は極端で印象的なものを使うのが普通です。それがこの場合はゴッホだったというだけでしょうね。

oot********さん

2019/2/1100:04:06

ゴッホを賛美する人は世界中に大勢いますよね。これは何を意味するかというとゴッホの絵画には多くの人を魅了する何か、つまり普遍的な良さがあるということです。

個性は人と違う「ある変わった特徴」なのですが、部分的なものであったり、全体にバラバラであったりすると個性とは呼びません。全体の隅々まで行き渡って調和が取れ、一貫したものになって初めて個性と認められます。

その調和による全体の響き合いこそが人を惹きつけるのです。ゴッホの場合その先天的特殊性が特殊な形態感覚や色彩感覚を高めたと考えられます。調和は考え過ぎたり意識し過ぎたりするとすぐに崩れるのです。先天的異常がありきたりな感覚や考え過ぎを防止したのでしょう。

つまり乗り越えたというよりもそれを無意識に利用するようになったと考えた方が自然です。小林秀雄はそれを「乗り越えた」と表現したのではないでしょうか。先天的な特殊性といっても病気ですからね。

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