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日露戦争の際戦死者の他にロシア人の捕虜が6000人ほどいたそうなんですが日本はこ...

rin********さん

2019/2/1421:58:10

日露戦争の際戦死者の他にロシア人の捕虜が6000人ほどいたそうなんですが日本はこの捕虜をどうしたんですか?

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goo********さん

2019/2/1422:06:38

そのころはまだ日本軍も「謙虚さ」を持っていたので虐待はなかったと思います。

日本海海戦で負傷したバルチック艦隊の司令官、ロジェストウェンスキー提督を東郷平八郎は入院している日本の病院に見舞いに行っています。
乃木将軍とステッセル将軍の会見も有名ですね。

第一次世界大戦になるとドイツ兵捕虜がいましたが映画「バルトの楽園」のごとくでした。

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mok********さん

2019/2/1422:15:04

日露戦争に駆り出されたロシア兵の中にユダヤ人が3万3千人混ざっていた。そのうち3千人は戦死。旅順陥落後捕虜となったロシア兵は
日本に連行された。
リーダー役の傷痍軍人ヨゼフ・トルンペルドールのことを書いておきます。

大阪府高石市のロシア兵捕虜収容所に送られ1年間の抑留生活を送る。ここの生活はユダヤ兵にとって天国だった。電灯もあるしパン工場で自由にパンも焼けた。何より感激的であったのは宗教礼拝の自由があったことだった。ロシアではひたすら出自を隠し
人目を避けて礼拝しないといけなかった。しかしここでは堂々と礼拝が行えた。ここでユダヤ人兵は他のロシア人兵に読み書きを教え教師役を買って出た。無学文盲ゆえに反ユダヤ扇動に取り込まれてしまったロシア農奴を啓蒙すれば反ユダヤの呪縛から解き放たれるのではあるまいか。

ユダヤ兵たちの熱心な教育活動は大層評判を呼び明治天皇のお耳にも届いた。明治天皇は感心されてリーダー役の傷痍軍人ヨゼフ・トルンペルドールを皇居に招かれた。天皇は捕虜の身でありながら善き行いをしたヤコブを称えて


ご署名入りの特注の義手を下賜されたのだった。


ポーツマス条約締結後、すべてのロシア兵捕虜は本国に送還されることになった。ロシア兵が歓喜に沸く中、ユダヤ兵たちは喜ぶ気になれなかった。帰国すればまた迫害の日々が待ってることがわかってたからである。

自分たちが血を流して戦った武勇に対して薄情なロシアは何も報いてくれないだろう。

トロンペルドールは小国日本がなぜ大国ロシアに勝ったのか考え抜き、虐げられてきたユダヤ民族も日本のようになれるという結論に達した。トロンペルドールは捕虜収容所でユダヤ系兵士を組織しシオニズム運動を組織した。1920年レバノン国境に近い開拓地でアラブの反徒に襲撃され死亡するが東欧のユダヤ青年を鼓舞する運動に発展してゆく。

ヨゼフ・トロンペルドール

亡国の民としてロシアに生まれ、歯科医となったけれども、日露戦争時、国のためにと志願して兵士になった。
戦傷で左腕を失うも、「まだ生きている」、と再び戦地に赴き、拳銃で戦った。
そして、旅順陥落時、捕虜として日本に連行され、ロシア兵として捕虜収容所での生活を送る。

ところがこの収容所での日本の応対に甚く感心し、初めて
「ロシア人としてではなく、ユダヤ人として生きること」
を考えるようになり、ロシアに帰国後、危険地帯のイスラエルに入植。
軍隊経験を活かして、イスラエル軍を組織、自衛に当たっていたが、アラブの攻撃を受けて戦死。
その時、「国のために死ぬのは良いことだ」と言い残した。

ヨゼフ・トロンペルドール

日露戦争に駆り出されたロシア兵の中にユダヤ人が3万3千人混ざっていた。そのうち3千人は戦死。旅順陥落後捕虜となった...

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