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なぜ江戸幕府は清との朝貢貿易を拒否したのですか

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ID非公開さん

2019/3/620:00:03

なぜ江戸幕府は清との朝貢貿易を拒否したのですか

また、その下で中国との貿易が続けられたというのは民間でのことですか、それとも幕府も関わっていましたか

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ベストアンサーに選ばれた回答

cel********さん

2019/3/622:16:13

江戸幕府は清に朝貢しなかった、って言うのは完全に正しいです。江戸時代初期はまだ明の時代でしたが、明に対しても朝貢しませんでした。
が、《拒否した》となると、誰か(例えば清)から《朝貢しろよ》って言われないと、《拒否》した事にはなりませんよね…
清から《朝貢しろよ》と言われた事を示す史料を私は聞いた事がないです。

ですので、何故しなかったのか、って意味のご質問と思って回答するなら、簡単に言えば、『そうする必要が無かった』からですね。
鎖国前の朱印船貿易の頃は、行先は台湾とかフィリピンとか、中国以外でしたが、主な輸入品は中国産の生糸と絹でした。つまり、行先に中国船が生糸や絹を持ち込むので、それを買っていた訳です。

鎖国の結果、中国産の生糸や絹は、オランダ船や中国船が持ち込むだけになった訳ですが、元々贅沢品の一種で無くても困らない上に、蚕の品種改良が進められ、国内産の生糸や絹の品質が良くなったので、積極的に中国との貿易を増やす動機自体が無くなりました。直接長崎に来るオランダ船・中国船以外にも、対馬藩の朝鮮との交易、琉球の明・清との交易から、間接的に中国品を入手する方法もありました。

それから、長崎に来た中国船は、幕府が送った朝貢使節が帰って来たものでは無いですし、清の外交使節でも勿論ありませんから、勿論中国の民間船です。
が、長崎への中国船の来航は、オランダ船と同様幕府に公認され、かつ、幕府(長崎奉行)の監督下にあり、禁制品の輸入が無い様、例えばキリシタン関係の書物が入って来ない様監察されました。出島と同じく、中国人の居留地として唐人屋敷も1689年に作られましたので、そう言った意味であれば、幕府は関与した、とは言えますね。

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質問した人からのコメント

2019/3/8 09:29:25

わかりやすいご説明ありがとうございます!!

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