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昨年のダライ・ラマ法王の灌頂を授かるご縁に恵まれなんとか実践していけるように...

sum********さん

2019/2/2820:02:44

昨年のダライ・ラマ法王の灌頂を授かるご縁に恵まれなんとか実践していけるようになりたくいろいろと
調べ某チベットセンターでの法王の聖観音灌頂でテキストにしていたものと思われるミンドゥ

リン・テルダク・リンパのテルマ『大悲世自在九尊の灌頂儀軌 最勝なる聖者の御歓喜の門』を使用してのセミナーに行きましてその後もレコーダーに入れた講義内容をなんども聞き、また法王の法話もYouTubeにて繰り返しきいているのですがそこまでの域に入っていないのかうまくビジョンをイメージできません。以前おっしゃっていた上手く日本語に通訳できていないというのはなんども聞いているうちにそのような感じに思います。当方は日本語しか読めませんが私にも法王の法話の真意が伝わるような書籍や曼陀羅図などありましたら教えていただきたく質問させていただきます。またニンマ派の教典という事でニンマ派とのつながりもあるボン教のヨンジン・テンジン・ナムダク・リンポチェの光明の入り口も日本語訳ですが購読しました。両教とも九という数字をよく目にします。俗な話かもしれませんが天珠でも九眼が力を持つと聞いたことがあります。

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ベストアンサーに選ばれた回答

Mgr.Yuiさん

2019/2/2820:23:11

ポタラの特別講座に参加されたのですね。行法の伝授もあり、とてもよかったですね。

観想がうまくできない、というのは、修行を始めて誰もが経験することでしょう。

真言とは浄土に鳴り響く聖なる音であり、曼荼羅や本尊の観想は、聖なる浄土そのものです。

最初からきちんと観想できる人のほうが、おかしいのです。

はじめは煩悩の混ざったイメージになるのは、仕方のないことです。

何千回も何万回も修習することで、だんだん真言もイメージも、浄土に近づいてきます。

それこそが密教の伝授であり、加持力です。

真言の力と加持の力を信じることによって、どんどんと浄土に近づいていき、しまいには浄土に鳴り響く音そのものになる瞬間がやってきます。

そのときは、もはや普段の思考がすべて吹き飛ばされていて、現実とは思えない体験をするようになります。

とにかく、信じて続けることですね。

本を読むのは、逆に浄土から遠ざかる行為といえます。せっかく近づいているのに、他人の価値観や修行レベルに染まるわけですから。

ボン教は、日本の神道とよく似ています。

もともと教義も経典もなかったのですが、仏教(特にニンマ派)の影響を受けることで、教義をニンマ派に似せて体系化できたのです。

現在のボン教は、そういう経緯を経て「宗教」となり得ています。

質問した人からのコメント

2019/2/28 20:35:48

いつもありがとうございます。地道によい師をみつけたいと思っています。今はダライ・ラマ5世の伝記にも興味があります。

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