ここから本文です

源平合戦の最後の戦場になった壇ノ浦の海戦になんで天皇以下非戦闘員の女たちもい...

t04********さん

2019/3/317:44:51

源平合戦の最後の戦場になった壇ノ浦の海戦になんで天皇以下非戦闘員の女たちもいたのですか?足手まといになるだけで、下関の赤間神宮など安全な場所に避難させておけば良かったのに、義経は天

皇に向かってはさすがに弓をひかないだろうという甘い考えによる作戦だったのか始めから勝負ありと悟っての一族もろとも自爆作戦だったのですか?

閲覧数:
89
回答数:
5
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

knz********さん

2019/3/519:28:07

壇ノ浦海戦直前の状況は次の通りです。

2月1日の豊前国芦屋浦合戦で、平家随一家人の筑前尅原田種直軍が源範頼軍に敗北します。次いで、範頼軍は北九州の政治経済中心の題材夫・博多津を占領して、平家の後背地である北九州を支配下に入れます。
一方、2月19日に源義経が讃岐国屋島を急襲して、安徳天皇以下を瀬戸内海に追いやります。安徳天皇以下は平知盛(平家総帥宗盛弟)の根拠地である長門国彦島に後退して落着きます。しかし、この時には北九州の陸上はほぼ範頼軍に制圧しており、さらに博多津等に後退することは出来ず、平家にとって彦島が最後の拠点となりました。
屋島合戦に勝利した義経軍は水軍を組織して瀬戸内海を西上して彦島へと向かいます。これにより生起したのが3月24日の壇ノ浦海戦です。

さて、後白河法皇にとって上位した後鳥羽天皇の正当性を担保するには、三種の神器の奉還と安徳天皇の確保が必要でした。このことは源頼朝も理解しており、蘇その確保を範頼に指令しています。平家は東から義経軍に迫られ、北九州を範頼軍に制圧されている以上、一発逆転をかけて、源氏軍より長けているといえる海戦勝利にかけることになります。この際、安徳天皇等を彦島に置いていく策もありえましたが、源軍の第一目標が安徳天皇である以上、無防備とはいえませんが十分な護衛兵を付けることは、総兵力的に義経軍(『平家物語』では義経軍は3千艘、平家軍は千艘)に劣る以上、不可能であり、防備に不安があります。とすれば、もし戈島に安徳天皇等を残せば、北九州を制圧している範頼軍により後方から安徳天皇等を奪取されます。そうすれば、たとえ壇ノ浦海戦に勝利しても、平家の正統性を保証する安徳天皇等土を失っては政治的敗北で、これは戦場で取り返すことは出来ません。

壇ノ浦海戦では義経軍は安徳天皇奪取を狙ってくるとみて、御座船(安徳天皇が座乗する大船)に安徳天皇がいると見せかけて、実は小船に隠します。こうすれば、御座船に義経軍の攻撃が集中するので、逆にこれを攻撃しよとしたのです。実際には平家か裏切りがでて、この秘密情報を義経に密告して、この策は敗れます。

以上、ご理解のほど。

ベストアンサー以外の回答

1〜4件/4件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

ban********さん

編集あり2019/3/520:22:52

逆・人質みたいなもんです。
「天皇と三種の神器、海に沈める気か、いいのか、いいのか?」ってことです。
天皇は生きて奪還、三種の神器も確保、これが義経の「勝利条件」です。ちゃんと生きた天皇と神器を京都まで連れ帰って、きちんと譲位の儀式をさせる、それがないと以降の天皇家は「ニセモノ」になってしまうんです。天皇家は「王道」で継承されるのが絶対条件です。前の天皇を殺して新しい天皇を立てる、それは「覇道」であり、それやったら日本はおしまい。
これは、日本人として常識です。
だから、天皇は戦場にいなければいけなかったんです。もちろん、負けたら海に沈めるためです、安徳天皇が死ねば義経のミッションは失敗、つまり「源氏の負け」なんです。
それ、分かってたんですかね、義経は。

mat********さん

2019/3/517:55:15

「天皇たちを守るのに、他に選択肢がなかったから」ですね。
副次的な理由はいろいろ挙げられるでしょうが、結局はこれに尽きると思います。

なぜ海上戦闘の場に天皇や女御がいたのかというより、少し前(屋島の合戦で陸の本陣を失った)後から平家の主軍は海上生活をしていました。
源氏軍には、陸戦で敵なしの軍略家・義経と、大手の軍を率いる範頼が陸にいます。
平家の主軍が海上生活をしている状態で、陸地に天皇たちを置いておけば、天皇を守るのに信頼できる戦力が平家にはありません。

最終決戦前で緊張が高まっているならなおのこと、平家主軍の中心の他に、天皇たちの身の置き場所はないでしょう。
陸地のどこに置いておこうと、簡単に源氏に回収されてしまいます。孤立無援状態ですからね。
ヒッソリ隠して住まわせたって、何が起きるか分かりません。ノブセリや盗賊もいるでしょうし、リスクが高過ぎます。それを守るために部隊を置けば、源氏に見つかってしまう・・。

ですので船の上そのままの状態で、平家主力の宗盛・知盛らと共に天皇たちがいるまま開戦しました。

zeu********さん

2019/3/410:14:14

>天皇以下非戦闘員の女たちもいたのですか?

天皇=安徳天皇ですよ。
七歳の子どもですので、母親(平徳子)や祖母(平時子)と一緒にいないといけません。

義経率いる鎌倉軍は陸上戦闘では圧倒的優位なので、陸上に天皇以下の女官たちを置いておくことは、敵に天皇を取られる危険性があったので、陸よりは安全な海上に移しておくという考えなのです。

那須与一の話にもあるように、平家は海の上では優位なのです。
もともと瀬戸内海の海賊を掃討し、厳島神社を主神に崇めているように平氏は海上戦闘に特化した武士団でもあります。

義経が紀州(和歌山)の熊野水軍を味方に引き入れているとは平氏は夢にも思わなかったようです。

潮の流れの速い関門海峡付近の戦闘なら、水軍主体の平氏は陸上軍中心の義経には絶対に勝てると踏んで行われたのが壇ノ浦です。

平氏が味方だと信じていた熊野水軍が義経に買収されていて、裏切りになったことで平氏は大混乱、一気に崩壊していきます。

熊野水軍が寝返るまで、義経は随分と平氏に苦戦した巷説は有名ですよね。
(逃げる義経の八艘跳び等)

ちなみに壇ノ浦の岸には、源範頼率いる鎌倉別働隊が陣取っていました。
陸上に女官や天皇を置いておくことはできませんよね。

tun********さん

2019/3/317:54:27

その合戦に負けては,もう後がないからです。捕えられて,虐殺や陵辱などの不名誉な仕打ちを受けることは,絶対に避けなくてはなりませんでした。これが一番の理由です。相手は,野蛮と考えられていた坂東武者集団ですし。
また大阪夏の陣での秀頼出陣問題と同様で,天皇一族が出陣することにより,味方の士気の高まりを期待したものと思われます。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる