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高校生です 江戸時代の荻原しげひでの元禄小判で、金の含有量を減らしてインフ...

mor********さん

2019/3/319:22:26

高校生です

江戸時代の荻原しげひでの元禄小判で、金の含有量を減らしてインフレーション?

っていうのがあったと思うのですが、確かに貨幣価値は下がって物価は上がってますけども、あれって別に給料上がってるわけでもないし、むしろ物価上がりすぎて、庶民の購買意欲ってさがってませんかね?

そうしたらあれってインフレーションといえるのでしょうか。

経済学を学んでないもので、インフレ= 需要上がる 物価上がる(それでも需要があるから買ってくれる) 企業儲かる 給料上がる そしてまた需要上がるみたいなものをが続いて経済が発展するものという概念がありまして泣

すみせんがどなたか元禄時代のあのインフレーションのしくみについて教えていただけませんでしょうか?

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dai********さん

2019/3/412:54:40

インフレになったから景気が良くなるのではなく、景気が良くなった結果インフレが発生します。

元禄文化は1680年前後あたりから開花しており、1695年の元禄の貨幣改鋳によって開花したのではありません。太平の世が続き綱吉の代にもなれば日光参拝、将軍代替わりなど各種行事も大変華美となり、多額の出費となりました。参勤交代は各大名らの資産を消耗させる目的かの如く語られますが、言い換えれば街道筋、宿場町に多額のお金が落とされ、街道筋は大いに賑い今日の都市や街道形成の礎となっています。そのような幕府や大名らの多額の出費(積極財政)が元禄文化の元となりました。

そのような奢侈の風潮に加え、元禄・宝永年間は天災地変も続発し、幕府や大名らの蓄財もついに底をつき、良質の旧金銀を回収して混ぜ物をして金銀の数を増やして差額を稼ぐために元禄や宝永の改鋳が行われました。

当時は世界的に貨幣に含まれる金銀の量が貨幣価値を決めた時代です。江戸時代は鎖国していたと考えるべきでなく、オランダだけでなく中国・朝鮮・アイヌ等と貿易を行っていました。外国人は貿易の決済として日本の金銀貨を受け取りますが、中国人や朝鮮人は長崎で日本の丁銀を純銀製の銀錠に改鋳して受け取りました。ですから銀品位を落として数を増やしても含まれる純銀が少なければ貨幣価値は低くなります。

小判も慶長小判2両で買えたものも、元禄小判ならば同じ量の金を含む3両を支払わないと買えなくなります。だから50%のインフレです。

実は話は簡単ではなく、1695年の元禄の貨幣改鋳と時を同じくして奥州で冷害による大飢饉があり、この影響で米価が2倍以上高騰しています。ですから真の貨幣改鋳による影響は判りにくいのです。

村井淳史という学者が奥州で冷害による影響を除けば、元禄の改鋳によるインフレ率は年率3%程度だと試算しています。元禄の改鋳では商人が質の良い慶長金銀を退蔵してしまい、元禄金銀への引替えは10年以上の年月を要しました。10年かかって50%インフレとすれば、1.5の10乗根は1.041…であり、インフレ率は年率平均4.1%となります。

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rkc********さん

2019/3/319:32:14

インフレと言うのはあくまでも物価上昇を表している用語です。
インフレは基本的に経済にとってはマイナスの要素があり、経済発展にとってはプラスにはなりません。

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