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なにわ筋線開業を機に南海電鉄とJR西は経営統合または合併したら良いのではないで...

ugk********さん

2019/3/320:40:55

なにわ筋線開業を機に南海電鉄とJR西は経営統合または合併したら良いのではないでしょうか。現在でも関西空港線、和歌山市駅で線路がつながっており、なにわ筋線開業で共同運行になります。

そうすれば大阪府南部地域の鉄道が同一運賃体系となり利用者の利便性が高まると思います。

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hir********さん

2019/3/400:35:01

南海電鉄の歴史 - 鉄道博物館

関西急行との合併

昭和5年6月、天王寺~和歌山(東和歌山)間に阪和電気鉄道が開通し、南海鉄道との間で激しい競争が展開されました。その後、監督当局のすすめにより、南海鉄道は15年に阪和電気鉄道を合併、南海山手線としました。

やがて苦難期を迎え、戦局の悪化とともに、政府は戦時輸送体制確立のため民鉄10社に対し強制買収をきめましたが、山手線もその対象となり、19年5月、運輸通信省に譲渡。続き同年6月、南海鉄道は関西急行鉄道と合併、社名を近畿日本鉄道としました。こうして南海鉄道の南海線・高野線は近畿日本鉄道難波営業局の、軌道線は同天王寺営業局の所属となり、終戦を迎えました。

http://www.nankai.co.jp/traffic/museum/muse/ji0001.html





阪和電気鉄道

阪和電気鉄道(はんわでんきてつどう)は、昭和初期の関西の鉄道会社。現在のJR西日本阪和線を建設した。

1926年に設立され(路線免許交付は1923年)、1940年に南海鉄道に合併された。

営業不振や政府の交通政策などの事情故に会社法人としては短命であったが、戦前の「日本一速い電車」である「大阪 - 和歌山45分」ノンストップの「超特急」を運行したことで、日本鉄道史上、一種の伝説的存在として記憶される。



南海鉄道への合併・国家買収

阪和電鉄は、海岸部を走る南海鉄道に比べると、内陸の人口希薄な地域を走るため区間輸送需要に乏しく、また和歌山は京都や神戸に比して都市規模が小さいことから、両社は少ない直通客を取り合うことにもなった。結果的に後発の阪和の経営基盤は、常に不安定であった。乗客が伸び悩んで新車の投入資金も調達できなくなっていたため、室戸台風からの復興期や前述の浜寺海水浴場海水浴客への海水浴客で多数混雑する夏季には鉄道省(後の国鉄)や大阪電気軌道吉野線から車両を借り受けて運行を行っていたこともあった。

それでも1938年上半期決算からは、それまでの累積赤字を営業努力によって解消させ、株主への利益配当を行うようになっていた。しかし粉飾決算疑惑なども取り沙汰され、1937年には当時の社長・木村清が自殺するなど[『鉄道史料』No35、40頁に木村社長自殺を知らせる新聞を掲載している。 ]、経営面の混乱が続いた。そしてついには、京阪電気鉄道が阪和から手を引くことになる。

1940年10月には紀勢西線が孤立線区の紀勢中線に接続して紀伊木本(現・熊野市)にまで延伸され、直行列車は天王寺-新宮間263kmを6時間フラットで走破した。しかし同年12月1日、阪和電気鉄道は南海鉄道に吸収合併され、同社の「山手線」となる。これは両社を合併させることで紀勢西線への直通列車に関するダイヤ改正交渉を一元化できる鉄道省や、1938年に公布された「陸上交通事業調整法」に基いて過度な競争を抑えて軍事輸送を強化したい国の意向によるものであった。

この時、国としては阪和電鉄買収の意思もあったが、1940年の時点では実現しなかった。阪和電鉄線は高規格であるため、買収費用が高額となることが予想された。また当時日中戦争の戦費確保が優先されていたために、買収資金調達のための国債発行も困難であった。このような事情から買収が見送られ、代わりに南海への合併という形で当座の措置としたと言われる。

ほどなく日本は太平洋戦争に伴う戦時体制に突入したが、南海は輸送量増大と酷使が原因の車両故障多発に応じ、山手線には優先して新造車や人員を投入した。また利便性を考慮して、1942年2月15日には高野線と山手線の交点に三国ヶ丘駅を設置している。

古くから阪和間の独自ルートを希求していた鉄道省はこの時勢に乗じ、懸案であった南海山手線の買収を決定した。南海からの反発も排され、山手線は1944年5月1日、戦時買収により国有化、国有鉄道阪和線となった。なお、南海鉄道は、同年6月、関西急行鉄道と合併して近畿日本鉄道となった。近畿日本鉄道は、その後1947年に旧南海鉄道の営業路線については南海電気鉄道に分離している。

戦後、南海電気鉄道関係者から阪和線の返還運動、また旧経営陣や沿線住民(特に南田辺・東和歌山駅近辺)から阪和電鉄再興運動が起こされたが、いずれも実現しないまま現在に至っている。また紀勢本線沿線(特に三重県鵜殿村等)からは逆に、これら阪和線の再民営化に対する反対運動も起こった。

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hay********さん

2019/3/400:42:27

競争無き独占の道を歩めと?

もしかして、全国民が国家公務員に、全企業が国営になれば、全ての矛盾が完全解決する、...みたいな青クサいことを、どこかで聞きかじりましたか?

ell********さん

2019/3/320:50:45

何で、その一事だけで経営統合とかの話になるんだ?

mg1********さん

2019/3/320:50:27

やるなら明治の鉄道国有法の時点ですでにやってます。
あの時点では南海しかなかったんですから。

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