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徳川幕府三代将軍は家康が決めたと聞きます。

kok********さん

2008/11/819:14:29

徳川幕府三代将軍は家康が決めたと聞きます。

二代将軍秀忠の長男竹千代(のちの家光)と次男の国松(のちの駿河大納言忠長)とで、どちらを将軍にするかでもめたらしい。
常識なら長男の竹千代に継がせるところだが、彼は品行乱暴で家臣の人望がなかったからもめたとのこと。
そこへ家康が鶴の一声で竹千代に三代将軍を継がせることに決めたらしい。

しかし、家康はなんでこんな(国松側から見れば)理不尽な人事をしたのだろうか?

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kie********さん

2008/11/819:30:22

必ずしも長男でなくても文武に秀でた子供を跡継ぎにするというのは戦国時代ならよくおこなわれたようです。そうでないと戦国の世を生き抜いていけないからでした。しかし家康は戦国の世を終わらせる決意を持っていました。跡継ぎを誰にするかで家臣団が割れるのを恐れていました。それで愚鈍であろうが凡庸であろうが長男に跡継ぎにすると決めたのです。そうすれば家臣団は誰を次の主君とするかで悩むことはなく、ただ忠誠を尽くせばいいだけです。これはのちの吉宗も周囲の反対を押し切り頭が弱かった長男の家重を跡継ぎに決めました。これも結果的に家臣団の結束に効果がありました。
その意味で家康の狙いは正しかったと言えます。

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mas********さん

2008/11/819:31:07

大概の家がそうですが、普通「長男が家を継ぐ」のが当たり前だから。
特に戦乱の世が終わって法と秩序が重んじられる時代になら尚更。

ara********さん

編集あり2008/11/819:43:15

家康は能力主義の下克上社会を勝ち抜いて天下を取ったわけだが、

自分の作った天下泰平を永続させるためには、能力主義の下克上をやめさせ

序列重視の封建制を守らせることが必要であったため。

秩序を乱すものは、誰であっても許さないことを知らしめた。

ために、成人して駿河台納言となった国松は、将軍家光となった竹千代に殺されてしまう。

能力主義の場合負けたものは勝ったものに服従すればいいが、

序列主義だと負けたものは負けた気がしないしで頑張ろうとするし、

勝ったほうは不安で仕方がない。

大統領の国民投票で勝ったオバマ氏はマケイン氏を殺したりしないが

、序列で角栄に勝った総理大臣は角栄を刑務所にぶち込んで

社会的に抹殺するまで安心できなかったわけだ。

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