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唯物論の「もの」と唯心論の「こころ」とは何か?

mir********さん

2019/3/1810:31:05

唯物論の「もの」と唯心論の「こころ」とは何か?

ここで話題にするのは、歴史的哲学的な難しい話ではありません。
オカルトカテゴリーの肯定派が否定派のことを、良く「唯物論」と呼んでいて、それなら肯定派は「唯心論」だろうと僕が勝手に思っただけなのです。
そもそも「もの」とは何なのでしょうか? 「もの」とは、固体→液体→気体→プラズマ→レプトン→エネルギーと変化したものです。これに対して「こころ」は、「もの」ほどその正体がはっきりしていません。しかし、ヒントはあります。量子は常温以上だと「波」として振る舞いますが、認識をすると「粒子」として振る舞うのです。まさに「もの」と「こころ」の橋渡しと言って良いでしょう。事実、我々全ての生物は、体内の電子と言う量子を認識し、日々量子コンピューターとして活用しているのです。そして僕はさらに「こころ」の正体を、「ニュートリノ」だと思っているのです。なぜなら、「弱い相互作用」による「ベータ崩壊」で、電子と反ニュートリノを発生するからです。
以上見てきたように、今や唯物論と唯心論が対立する時代では無くなったと言えましょう。ですから、否定派も肯定派も対立している状態では無くなったのです。何か質問ありますか?

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rie********さん

2019/3/2206:37:18

ニュートリノは物質だ。ベータ崩壊は物質の相互作用だ。

ココロは物質ではない。対立するものでもない。
ココロは物質とその相互作用が複雑に組み合わさった機能であり、脳の働きの総体だ。

すなわちココロは生体物質系の機能が生む働きであり、それはまた生体物質系にフィードバックされる。すなわちココロと体は絶えず相互作用する。

物質とココロを同一の座標軸で扱うこと自体が両極端の誤りを生む。そもそもの機能も性質も異なりながら密接に関連しているものであり、宇宙自然界の理の構造を反映したものなのだ。

人間を扱うなら、心身は一体であるという当たり前の事実から出発しなければ、離人病にでもなっちまうのがオチだ。でなけりゃマッドに陥る。

人間以外の生物であっても同じである。

生命以外の世界は物質とエネルギーの世界だ。それが生命を生み出した母体である。

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2019/3/22 20:22:14

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wak********さん

2019/3/2218:40:15

私は誰でしょうか。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html

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pom********さん

2019/3/2202:40:07

気のせいです。

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