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添付画像の盃について詳細をご存じの方、おられませんでしょうか。 江戸時代の骨...

ans********さん

2019/3/3112:13:39

添付画像の盃について詳細をご存じの方、おられませんでしょうか。
江戸時代の骨董品であるようですが、詳細が分からずお尋ねいたしました。

・北海道の民家にて所有されていたものです。

・木箱の中に「丸に武田菱?の紋が施された朱色の盃?」が収められています。
・画像の上側は「木箱の側面」です。
・画像の下側は「木箱の上蓋」ならびに「木箱に収められていた盃」です。
・木箱の「嘉永三年十一月」や「什物」等の文字は分かりますが、他が分からずにおります。
・盃そのものに文字は記されておりません。

何卒よろしくお願いいたします。

補足早速のご回答を頂きお礼申し上げます。

より詳しく、もし他に分かる点がございましたら、ご教示いただけませんでしょうか。

たとえば、

・木箱側面の「柴屋平蔵」の左右に記されている、2つの屋号?のような印が何を意味するのか
・「柴屋平蔵」がいかなる立場の人物だったのか(松前氏の家臣つまり武士だったのか、漁民や商人だったのか)
・この盃(椀)はどの地域で製造されたものなのか
・稀少性や史料的価値のある物なのか

等につきまして。

なおご回答にある浜中町とは、道東の自治体である浜中町ではなく、道央の余市町浜中町を指すと思われます。
実際にこちらの骨董品は、余市町内で保有されてきたものだそうです。

(所有者である知人に代わり、私が調べているという状況です)

よろしくお願いいたします。

木箱,柴屋平蔵,盃,什物,上蓋,武田菱,まつまえたかひろ

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ベストアンサーに選ばれた回答

chi********さん

2019/3/3113:54:18

先のお二人のご回答で正解です。
「柴屋平蔵」「御上様御拝領」などの文字が見えます。
北海道浜中町の柴屋平蔵が嘉永三年十一月(1850年12月頃)に第12代松前藩主・松前崇広(まつまえたかひろ、1829~1866)から拝領したものと考えられます。松前氏の家紋が「丸に割菱」(武田信広の子孫を名乗っていることによる)です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%89%8D%E8%97%A9

先のお二人のご回答で正解です。
「柴屋平蔵」「御上様御拝領」などの文字が見えます。...

  • chi********さん

    2019/4/120:23:56

    推測になってしまうので、参考意見程度にお聞きいただきたいのですが・・・
    右のほうは山に「平蔵」と「余」の字だと思います。
    「余」は浜中町のある「余市町」の「余」ではないかと思います。
    左の山に「土」か「士」かの屋号についてはわかりません。

    どういう人だったかですが、
    こちらに山口の三保虎五郎という人が兵庫の「柴屋」の船乗りになって活躍し、えぞ地へ何度も渡ったという話が載っています。
    https://www.hoppou.go.jp/gakushu/watashitachi/yamaguchi/index.html

    兵庫・西出町の柴屋長太夫という人は松前藩の交易所である「宗谷・斜里・樺太場所」の仕入れを任されていたそうです。
    http://okhotsk.vis.ne.jp/rekishi/edo.html

    余市は北前船の寄港地ですから、そこに居を構えていた柴屋平蔵という人はこの長太夫にゆかりの商人なのではないかと考えます。

返信を取り消しますが
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質問した人からのコメント

2019/4/7 11:53:29

ご回答を下さったご三方、ありがとうございました。
ご追記分を含め、最も深くご考察を下さった方をBAにさせていただきました。

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nuk********さん

2019/3/3113:15:17

素人の思い付きですが・・・

柴屋平蔵という人は、明治の初め大谷光瑩一行が屋敷を一夜の宿にしている
ような名士・・・と同一人物ではないでしょうか。
什物・・・お宝
柴屋家の家宝と記しているようです。

http://class-niki.blogspot.com/2017/11/blog-post_4.html
から抜粋)
然別で大休止、トマップ、砥の川を経て一気に桐谷峠を越えて余市沢町へ下り、その夜は浜中町の柴屋平蔵宅で1泊。翌日早朝余市を発った。その茂入海岸をいく行列姿は三世広重が画いた大錦絵『餘市早発[よいちはやだち]』となって残っている。


記されている嘉永三年は、行列の19年?前ということになりますので、内容自体はこのお宝には無関係と思いますが。


画像ですと 日付と一緒に ?上様 御拝領 とあるように見えます。


どういうことがあったか、丸に武田菱の〇〇様はどなただったのか?
〇〇さまの部分、判読できるともう少し想像を膨らませられるように思います。

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よろしいですか?

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eko********さん

2019/3/3112:48:20

推測するに、嘉永三年に下賜された松前の殿様からの拝領品では?

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