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石田三成が関ヶ原の戦いで戦ったのは無意味ですよね?

bdx********さん

2019/4/319:01:37

石田三成が関ヶ原の戦いで戦ったのは無意味ですよね?

結局豊臣方の勢力を削いで弱体化させ、さらに大谷吉継や島左近を失っています。
そもそも左近や島津義弘の進言の夜襲を用いられなかったのが痛いです。
やる気があるのはわかるのですが、時期を待って、さらに加藤清正や福島正則に任せればよかったのではないでしょうか?

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ban********さん

2019/4/404:29:52

岡目八目、です。

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glo********さん

2019/4/719:09:37

あの時点で三成が挙兵しなければ上杉景勝は間違い無く滅び、どっちにしても徳川一強体制に移行したのは間違いありません。
また三成は加藤清正や福島正則とは仲が悪く、彼らに任せる事は出来ませんでした。
結局のところ石田三成は一か八かの賭けに負けたわけですが、少なくとも挙兵した時点では

・京都や大坂など当時の政治経済の中心部を掌握した。
・毛利や上杉、宇喜多のように五大老の過半数を含め。日本の約半分の大名が味方した。

事から十分に勝算はあったのです。
しかし三成達が長期戦を目論んで、西軍支配地域の掌握を優先し戦力を分散させたのに対し、家康が一気に主力を率いて美濃に進撃してきた事からその戦略は破綻して短期決戦での敗北を招いてしまったのです。

bef********さん

編集あり2019/4/812:32:35

いえいえ、ものは見方次第です

天下を二分する様な勢力争いを関ヶ原という一合戦の大敗北によって大きな混乱なく政権移譲させたというのは日本にとって大手柄です

なんせ、世界に目を向けてみれば
ヨーロッパ列強による植民地獲得競争が繰り広げられる時代でしたから
長期の混迷はマイナス以外のなにものでもない

ryu********さん

2019/4/500:42:31

豊臣家のことを思えば無意味に見えるかも知れません。

ただ石田三成視点では清正、正則に襲撃され天下の豊臣政権の五奉行という立場から転落させられ隠居にまで追い落とされています。

毛利輝元や宇喜多秀家など徳川家康に警戒心を覚えた他大名を焚き付け、この機会に挽回できなければ政権復帰は不可能だったと思うので一か八か賭ける気持ちは解ります。

ohx********さん

2019/4/405:46:14

あのタイミングでなければ、三成に勝てる目はありませんでした。奉行を辞め隠居した身では、影響力が、喪われます。
それでも天下分け目の戦いに持ち込んだのは、凄い事だと思います。三成に人望がなかったと言われますが、結果から言われだとだけだと思います。

san********さん

2019/4/320:38:38

それは仰るとおりかもしれませんが、三成としてはあのタイミングの挙兵が勝つチャンスと思っていたのだと思いますよ。質問者様のご指摘は後の時代から結果を見て言える結果論であって三成にそれを言うのは酷に思えます。実際あの時代にも三成の勝利と読む武将もいたようですし・・・

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