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佐賀県と長崎県、肥前の国は、京都から遠いのに前ですが、これは、韓国朝鮮や大陸...

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ID非公開さん

2019/4/1404:21:14

佐賀県と長崎県、肥前の国は、京都から遠いのに前ですが、これは、韓国朝鮮や大陸に近いから?

肥前,ヒノクニノミチノクチ,ヒノクニノミチノシリ,佐賀県,長崎県,ひのくに,韓国朝鮮

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boa********さん

2019/4/1406:31:27

いえ。
肥後(熊本県)より都に近いからです。

ひのくには有明海を挟んだ両側にあって地続きではない点が
他の前後・上下の国と違う特徴です。
ひのくにとは
雲仙と阿蘇という別個の「火の山」を擁する国とも
有明海でよく発生する夜の蜃気楼「不知火」の国ともいわれます。

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質問した人からのコメント

2019/4/14 12:18:07

なるほど。ありがとうございます。

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sak********さん

2019/4/1405:06:03

当然ですが何の関係もありませんよ

元々の旧名が吉備でありこの吉備の国が三つに解体され、備前、備中、備後の国に分かれたのです

まりえさん

2019/4/1406:52:04

朝鮮や大陸に近いとかは、まったく関係ありません。

持統天皇以前の頃には筑前国はツクシノミチノクチ、筑後国はツクシノミチノシリ・豊前国はトヨノミチノクチ、豊後国はトヨノミチノシリと称していました。ですから、肥前国はヒノクニノミチノクチ、肥後国はヒノクニノミチノシリの意味から国名が付けられたのです。
ミチノクチとは国に入る道の始点、ミチノシリとは国から出る時の道の終点と言う意味で、筑前と筑後はひとつの国で、史料から判断する限りでは、筑前国は文武天皇二年(698)、筑後国は慶雲四年(707)、豊前は大宝三年(703)、肥後国は持統天皇十年(696)に初めて記録などに出現しています。肥前国と肥後国はひとつの国でヒノクニと称し、持統天皇頃にふたつの国として分置されたのです。

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sss********さん

2019/4/1410:41:47

令制国の前・中・後は都からの直線距離ではなく都から主要道を陸路で移動した時に先にあるか後にあるかで決まります。
これは都からの距離を日数で表した「延喜主計式諸国日数行程」でも明らかです。

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