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安息日遵守に関する下記指摘に対して セブンスデー・アドベンチスト教会(SDA)の方...

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ID非公開さん

2019/4/1613:34:04

安息日遵守に関する下記指摘に対して
セブンスデー・アドベンチスト教会(SDA)の方、反論ありますか?

・ 使徒行伝の中で「安息日の集会」に触れているのは、どれも
《ユダヤ人の集まり》であってクリスチャンの集まりではない。
・ キリストが日曜日に蘇られたことを記念して、
初期のクリスチャンたちはイエス・キリストを礼拝する日として
週の初めの日(日曜日)に定期的に集会を持っていた。
(使徒行伝20:7、Iコリント16:2)
・ 「安息日(土曜日)こそが、クリスチャンが礼拝を持つ日として
最も聖書的である」という概念は間違いである。

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apo********さん

2019/4/1818:00:46

セブンスデー・アドベンチスト教会信徒です。
お答えいたします。

>・ 使徒行伝の中で「安息日の集会」に触れているのは、どれも
《ユダヤ人の集まり》であってクリスチャンの集まりではない。

クリスチャンは毎日集まっていました。(使徒5:42)また、パウロたちは伝道のために安息日は各地のユダヤ人集会に参加し、(使徒13:14、17:2など)多くの者がクリスチャンになりました。それどころか、アンテオケでは安息日に全市をあげてパウロの話を聞きに来たとあります。そこには当然異邦人も参加していました。(使徒13:43−49)


>・ キリストが日曜日に蘇られたことを記念して、
初期のクリスチャンたちはイエス・キリストを礼拝する日として
週の初めの日(日曜日)に定期的に集会を持っていた。
(使徒行伝20:7、Iコリント16:2)

クリスチャンが復活を記念して日曜に集まったという記述は聖書のどこにもありません。キリストが記念するように命じられたのは復活ではなく聖餐です。繰り返しますがクリスチャンは毎日集まっており、ともに食事をしていました。聖餐式が日曜でなければならないとか、復活の記念日にしなければならないとはどこにも書かれておりません。パンをさくことは聖餐式(礼拝)だけではなく通常の食事をも表します。
使徒20:7「週のはじめの日に、わたしたちがパンをさくために集まった時、パウロは翌日出発することにしていたので、しきりに人々と語り合い、夜中まで語り続けた」という聖句がありますが、当時の日付感覚は現在の私達とは違い、日没から日没までを1日と数えていました。ですから、「週の初めの日」にパンをさくために集まっていたということは、安息日が終わり、夕食のために集まっていたと考えることができます。そして明け方まで語り合って、(20:11)日曜の朝に出発したと読むことができます。
Iコリ16:2では、週の初めの日ごとに収入を手元にたくわえておくように教えています。これは、生活をしていく中で残ったものから献金をするのではなく、献金として捧げるぶんを週の初めに取り分けておくことを教えている言葉であり、日曜日に献金しなさいということではないと理解しています。


>・ 「安息日(土曜日)こそが、クリスチャンが礼拝を持つ日として
最も聖書的である」という概念は間違いである。

十戒が永遠で普遍的価値を持つ道徳律であれば、当然、第四条(安息日遵守)を含めたすべてに普遍的価値がります。第4条だけは無視していいという根拠はありません。安息日は天地創造の記念(出エジプト20:11)であると同時に罪からの解放と贖いの記念でもあります。(申5:15)そもそも天地創造で安息日を制定されたのはキリストです(コロサイ1:16,17)し、シナイで安息日を含む戒めを布告したのもキリストです(Iコリ1:16,17)。受肉したキリストもまた安息日を守り、人々に安息日の守り方の模範を示されました(ルカ4:16、6:1−9)。
イザヤ書でも、安息日を堅く守る異邦人は記念のしるしと絶えることのないとこしえの名が与えられる(イザ56:1−7)とあり、66章では新天地においてでさえ「新月ごとに、安息日ごとにすべての人はわが前に来て礼拝する」(イザ66:23)と預言されています。
黙示録14章6〜は世の終わりの時代にすべての人々に向けて神の使いが最終警告を発しています。7節には「天と地と海と水の源とを造られた方を伏し拝め」とあります。ここでは明らかに6日間で世界を造り、7日目に休まれた天地創造の神を強調しています。

もちろん毎日集まることが理想ですが、上記を踏まえ、第7日を聖別された安息日として守り、礼拝をすることは非常にクリスチャン的、また聖書的であると言えます。

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    質問者

    ID非公開さん

    2019/4/1823:20:28

    回答ありがとうございます。
    ひとつ分からないところがあります。

    >シナイで安息日を含む戒めを布告したのもキリストです
    >(Iコリ1:16,17)。

    引用箇所は合ってますか?

    (コリント人への第一の手紙 1章16節~17節)
    もっとも、ステパナの家の者たちには、
    バプテスマを授けたことがある。
    しかし、そのほかには、だれにも
    授けた覚えがない。
    いったい、キリストがわたしをつかわされたのは、
    バプテスマを授けるためではなく、
    福音を宣べ伝えるためであり、
    しかも知恵の言葉を用いずに宣べ伝えるためであった。
    それは、キリストの十字架が
    無力なものになってしまわないためなのである。

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質問した人からのコメント

2019/4/23 13:48:51

丁寧な回答ありがとうございました。

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1〜1件/1件中

blv********さん

2019/4/2012:18:34

安息日の規定は、旧約時代のものあるいはユダヤ教のもので、新約の時代にあっては廃棄されたものと考えるべきだと思います。

あるいは、安息日は、新約の時代においては、
イエスキリストが安息を与える方であることを指し示すものと考えるべきだろうと思います。(マタイ11:28参照)

安息日は、新約の時代にあっては、イエスを象徴するものと考えるべきであって、文字通り実行すべきとは考えられません。

それは、ガラテヤ書でパウロが非難指摘しているような、ユダヤ教に戻ることであり、割礼を受けることがパウロによって非難されているのと同類に考えるべきであろうと思います。

律法(十戒を含めて)というのは、新約の時代においては
道徳的なものは存続しているが、
儀式的(宮やささげものに関する規定)、形式的、物質的なものは、廃棄された(あるいは新約の事柄の象徴)
と考えるのが、おおよそ新約の考え方になるだろうと思います。

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