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普天間基地 国に賠償命令も賠償額は減 飛行差し止め認めず 「普天間基地提...

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pli********さん

2019/4/1616:39:17

普天間基地

国に賠償命令も賠償額は減
飛行差し止め認めず
「普天間基地提供協定」の違憲判断避ける

「不都合な真実」という題の写真を見たことがあります。

戦後、恐らく昭和20年代の普天間基地の写真です。
そこには基地だけが映っていました。

どういうことなんでしょう??

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run********さん

2019/4/1623:24:16

元々、無人の畑に飛行場が創られています。

政府は『危険だから、周辺に住まないように・・・』と注意喚起しましたが
沖縄県側が「大丈夫だから、無差別に建築許可を出す」として、周辺を住宅地にしました。
しかし、事故が発生した途端、「危険だから、飛行場をどかせ」と言ってきただけですね。



そもそも、戦争末期に、日本国政府が沖縄に対し、疎開命令を出しています。
その天皇の命令を無視し、「どうせ死ぬのならば、生まれ故郷で死にたい」と沖縄県民が居残って、多数の死者が出ました。
その時、焦土と化して、住居など存在していませんね。

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kak********さん

2019/4/1623:20:16

右翼の捏造です。

ちゃんと、田畑、集落、商店街がありました。

戦争で焼き野原にった事を米軍が撮った写真を、右翼は、何もないとデマを言っています。

普天間基地は、日本軍が簡易的滑走路を作る→米軍の空軍が使用し、基地を拡張する。→岐阜県民の米軍基地反対運動により、岐阜県各務原市から海兵隊が移転。空軍は、嘉手納に移転。→米軍により、普天間の更なる基地拡張。

収容所から解放された沖縄県民は、住みかを失い行き場がない人は、基地の周りに住むしかなかった。

are********さん

2019/4/1617:13:28

普天間周辺は1945年3月末に始まった米軍の艦砲射撃や攻撃で、民家や役場、学校、森林、田畑、全て焼け野原になって、何もなくなってしまいました。何もなくなった場所に米軍が基地を作り、そのために基地だけ存在したわけです。

沖縄の住民は収容所に入れられ、男は射殺されたり、住民女性への拉致・暴行・強姦も多数証言されています。

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hai********さん

2019/4/1616:53:36

それが正に「不都合な真実」ですね。
昭和20年代の普天間基地を危険だとは誰も訴えないでしょう、また誰も危険だと判断する方々はいないでしょう。
すなわち、危険にしたのは我々日本人達なのだと、私は思います。
これらは、基地反対運動をより効果的にクローズアップさせるために、左翼活動家や左翼政治家たちが自分達の主張確保やさらに言えば自らの仕事確保のために、普天間基地を危険だと思わせてきたのです。
その証左が、あの離陸場所の真下にある幼稚園?小学校?なのだと思います。本来なら児童の安全確保の為に真っ先に移動すべきなのに、頑として移転させようとはしないのですから。

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