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自力本願そして他力本願という分け方があるようですが、これは本当に分ける必要が...

zin********さん

2019/4/1804:35:37

自力本願そして他力本願という分け方があるようですが、これは本当に分ける必要があるのでしょうか。
これは、1つのもののそれぞれの側面(両側面)を言った言葉だとみることはできないでしょうか。

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juu********さん

2019/4/2302:19:24

以下は、真宗門徒という立場で記したものです。

【100%他力について】
五木寛之さんが他力本願を説明するときには、ヨットのたとえ話をするそうです。ヨットは、他力の風に吹かれることで、港(=本願)に到達できる、というものです。ところが、ある若い記者に質問されました。
「五木先生は絶対他力を説かれますが、風を読むという行為は、自力ではありませんか?」
五木さんは即答できなかったそうですが、よくよく考えると、風を読むという行為も他力だということに気づいたそうです。ヨットが無風にさらされた時、次はいつ、どこから風が吹くのか、予測しなければならない。何日も、何週間も、五感を駆使して風を待つ。この驚異的な集中力は、自分で絞り出すのではなく、大いなる者からいただくものだとしか思えない、というものです。

【自力聖道の意味】
親鸞聖人は、9歳で出家してから、比叡山にこもり、自力聖道の修行に打ち込みます。しかし、次々とわいてくる煩悩に苦しみ、ついに、29歳の時、絶望して山を下ります。その絶望の中で出会った(導かれた)のが、法然上人と他力浄土門だったのです。自力での絶望が大きかった分だけ、他力に出会えた喜びは絶大でした。自力聖道は、他力本願の信仰に至るプロセスとして、重要な意味があると思います。
もう少し突っ込んだ表現をすると、自力で挫折したそのあとに、他力が勝手に向こうからやってくる、ということなのだろうと思っています。

以上、ご参考になればと思い、記しました。

質問した人からのコメント

2019/4/23 07:25:38

人事を尽くして天命を待つという言葉を思い出しました。
人事もまた尽くさせていただいたと受け取るのが1つの悟りの境地かもしれないなどと思いました。

ありがとうございました。

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inv********さん

2019/4/1804:41:24

そうですね。

他力本願の浄土真宗でも、南無阿弥陀仏と100回唱えた人と100万回唱えた人では自力が違いますからね。

深見東州という宗教家がすでに数十年前にそう著書の中で指摘しておりましたよ 。

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rjo********さん

2019/4/1804:57:35

あなたは他力本願ですねとバカにするような発言をする人がいますが、自力本願と言う人ほど他人を犠牲にしている気がします。
他人に生かされていることの自覚の無い人が自力本願と豪語しているのが現実ではないでしょうか。
人は全て他力本願です。

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zvs********さん

2019/4/1805:20:51

長い眼で観たら必要ないかもね

最終的には、佛が救ってくれる他力なのですが
ソコに到達するまでの過程では自力も通過点ですから
前世から積んだ努力の賜物として佛が救いの手を、さしのべてくれるのですから

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ilk********さん

2019/4/1806:14:14

もともと自力と他力の意味を間違えているんです。
(浄土真宗の教えでは)

さらに、自力を自分の努力と間違え
そして他力本願を己れの努力を怠り、他人へ依頼や
他人へすがりする事で成仏できるなんて勘違いしているんです。

阿弥陀如来さんはどんな人も必ず本当の幸せに救う
と確約して、阿弥陀如来さんの幸せを確約するお力
のことを"他力"と言うんです。

阿弥陀如来の本願を疑う心、「阿弥陀如来の幸せの確約は
絵空事で信用出来ない」という心を"自力"と言うから
"自力を捨てて" それは疑いを捨てるの意味
そして真摯に仏教を清聴せよと教えるんです。

だから故に。
自力で本願ができるわけ無いんです。
阿弥陀如来の幸せの確約は絵空事で信用出来ないが
なぜ本願なのでしょうか?

自力本願は矛盾なんです、阿弥陀如来を猜疑することが
自力なんだからです。

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dab********さん

2019/4/1810:47:52

自力と他力であって自力本願って用語は?

釈尊の教えを自力と他力に分けたという説であって、宗派の考え方による(教相判釈)である。

そうゆう見方をしていく必要がある受け止めであり、その宗派の根幹を有する思想である。

宗派の教義である故に。分ける必要があるという思想としての考えとして、

オッケー☆⌒d(´∀`)ノ

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