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日本書紀や古事記の筋書きは、日本の皇室はこの日本列島の中から発生したもので、...

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ID非公開さん

2019/4/2710:54:08

日本書紀や古事記の筋書きは、日本の皇室はこの日本列島の中から発生したもので、海外から
やってきたものではないと、無理に言おうとしているようです。

これを逆に取ると、海外からやってきたことをどうしても隠したい意図が感じられます。
江上先生の騎馬民族説や、水野先生の中王朝騎馬民族説、井上先生の朝鮮半島渡来説、松本清張などもこの渡来説を信じていたようです。
私は、古代史に興味を持つ一素人ですが、これらの渡来説を勉強するに参考になりそうな良書が
ありましたらご紹介していただきたいのですが。
よろしくお願いします。

補足これらの渡来説も仮説としては面白いのですが、どうも根拠が弱いようです。
そこで最新の研究成果が知りたいわけです。

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reg********さん

2019/4/2713:50:17

最新の科学(遺伝子解析技術の進歩)で、考古学会も完全に「だんまり」です。

現代人も、古代人も、ネアンデルタール人も、核ゲノム(DNA)を100%解析可能となりました。
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/087/research/1.html

「30億塩基」を解析すると、一人ひとりについて、日本人(大和民族)なのか、中国人なのか、韓国朝鮮人なのかが、明確にわかるばかりではなく、同じ日本人であっても、その祖先は、日本のどの地域らしいということまで、沖縄であれば、どの島なのかまでもわかるようになってきました。

日本人と中国人との混血であれば、その混血すらも判明してしまいます。

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日本は、遺伝学上、ほぼ単一民族国家となります(地域特性があることは判明しています)。

「日本人(ヤマト人)」は、「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血であり、各々の遺伝子部品の一部を引き継いでいるため、個人差が発生します。

日本列島内の地域集団の微細な違いは確認されるものの、他のアジア集団のゲノム情報とは、大きく、かつ明確に異なる日本列島出身者としてのまとまりが検出されました(東北大学プレスリリースより)。

※プレスリリース=報道発表のこと

「日本人(ヤマト人)」は、「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血です。

↓NHKサイエンスZERO「日本人のルーツ発見!」
https://www.youtube.com/watch?v=UFag168ZX90

「日本人(ヤマト人)」と「中国人、韓国朝鮮人」との「見た目」での区別は難しいが、DNAを調べれば、比較的簡単に区別ができます。

日本人(ヤマト人)の容姿の多様性について

日本人(ヤマト人)は、「縄文人」と「渡来系弥生人」の両方の「顔かたちのパーツ(部品)」を持っていますので、それらの組み合わせが非常に多くなり、顔かたちの多様性が極めて多くなります。

「縄文人」と「渡来系弥生人」とは、容姿(顔かたち)の仕様(寸法)が全く異なります。そして、それらの遺伝的要素は、例えば「白」と「黒」を混ぜると「灰色」になるようには現れません。それらは「モザイク」的に現れます。

例えば「日本人(大和民族)」は、他の東アジア人と比べるならば「歯並びが悪いほう」であり「八重歯」や「すきっ歯」の方も多いでしょう。これらはある程度、やむ負えない事だと考えます。その原因として「日本人(大和民族)」が「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血民族だからです。

・縄文人→二重瞼で彫りの深い顔立ち、毛深い、狭いアゴ、歯が小さい、癖毛
・渡来系弥生人→一重瞼で彫りの浅い顔立ち、毛深くない、広いアゴ、歯が大きい、直毛

「日本人」の中でも「弥生人」の大きな歯の遺伝子と、「縄文人」の狭いアゴの遺伝子を受け継いだ人は「乱杭歯(歯並びがでこぼこの状態)」や「八重歯」になり、「弥生人」の広いアゴと「縄文人」の小さい歯の遺伝子を受け継いだ人は「すきっ歯」になる傾向が強いと言われています。

↓縄文人と弥生人の混血である日本人は世界的に歯並びが悪い
http://www.news-postseven.com/archives/20161106_463292.html

そのため、日本人(ヤマト人)は、色々な顔、容姿があるのです。

-------------------------------

しかし、DNAを調べれば、比較的簡単に区別ができます。

ヒトゲノム、世界最大級のDBに 日本人特有の特徴発見(東北大学)

2017年7月18日の、東北大学の発表です。(プレスリリース(報道発表))

東北大学などは18日、日本人3554人のゲノム(全遺伝情報)を解析し、公的機関で世界最大級のデータベースを作ったと発表した。日本人特有の特徴も見つかった。

↓日本人3,554人分の全ゲノムリファレンスパネルを作成(東北大学)
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/newimg/pressimg/tohokuuniv-press2...

↑日本列島内の地域集団の微細な違いは確認されるものの、他のアジア集団のゲノム情報とは、大きく、かつ明確に異なる日本列島出身者としてのまとまりが検出されました。



↓日本列島内の地域集団の微細な違いは確認されるものの(東北大学プレスリリースより)

最新の科学(遺伝子解析技術の進歩)で、考古学会も完全に「だんまり」です。...

  • reg********さん

    2019/4/2713:50:44

    ↓他のアジア集団のゲノム情報とは、大きく、かつ明確に異なる日本列島出身者としてのまとまりが検出されました。(東北大学プレスリリースより)

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ss2********さん

2019/4/2716:46:03

私は専門家の学説は一切興味ありません。専門家以外から出てこないと創作された歴史は改められないと思っています。今特に積極的に出てきているのは、Y染色体DNAハプログループの分析です。私はこのデータから一定の日本祖人(ある方の造語です)の歴史について纏めています。全く個人的なもので学問的価値は全くないので悪しからず。
約4万年前頃日本祖人がスンダランドから到達。ルートは東シナ海沿岸から五島列島付近から九州に達した。氷河期ですから全て陸地を通った可能性もあるが、最後は海を渡った可能性もある。3万年前には北海道に達した。この人達が所謂C・Dタイプの人達。そして縄文時代の直前位に、N*・O1b2の人達が到達。支那とは何の関係もない海岸ルートの人達。今はほぼ海の底になっているところを通って来たので、支那は関係ない。この後北方ルートのC2c1人も来たと思われる。きわめて大きな変化を起こしたのは、約4000年前(南シナ経由のハツカネズミ)東シナ海を渡ったO2系の人達が来て、弥生の契機となる。これも朝鮮半島は関係ない。現在弥生は3000年ぐらい前に始まったと考えられているから、彼らの増殖に1000年かかったと考えられる。この頃ようやく後に発見される水田耕作が普及したと考えられる。この数千年間に日本祖人から縄文人と呼ばれるようになった人達が土器をもって大陸に入った。これが朝鮮半島のほぼ最初の住民ということになる。それ以前の痕跡はせいぜい通行人程度に過ぎない。最後に田中英道先生の本を読むことをお勧めします。動画もたくさんあります。

cha********さん

2019/4/2713:34:49

中国沿海付近の寄せ集まった集団=「渡来系弥生人」

まず
・縄文時代は、今から約1万6000年前~今から約2300年ほど前まで
・弥生時代は、今から約3000年前~今から約1700年ほど前まで

ややこしいでしょうけれども、

弥生時代の開始=紀元前10世紀ころ(今から約3000年ほど前)
縄文時代の終焉=紀元前3~4世紀ころ(今から約2300年ほど前)

700~800年間は「縄文時代」と「弥生時代」が共存していた時代となります。


↓弥生時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3

↑弥生時代(やよいじだい)は、日本列島における時代区分の一つであり、紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代。


↓縄文時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3

↑縄文時代(じょうもんじだい)は、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代。


↓総合研究大学院大学、文化科学研究科で公開している資料です。
http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/050509_fujio/thesis...

・弥生時代の開始は、今から約3000年ほど前(つまり紀元前10世紀)に変更されています。

・「渡来系弥生人」の日本列島への渡来も、今から約3000年ほど前(つまり紀元前10世紀)と判明しています。

・今から3000年前(紀元前10世紀)に、九州北部で本格的にはじまった水田稲作が「九州北部---->関東」を結ぶ線上を、約800年かかって、極めてゆっくりと拡大東漸していったことが判明しています。

・2200年前の弥生米(大阪の池上曽根遺跡や奈良の唐古・鍵遺跡)のDNAを分析した結果、朝鮮半島には存在しない中国固有種が含まれていることが判明している。

~~~~~~~~~~~~~~


「渡来系弥生人」は、元の「言葉」を失った可能性があり、また中国などに記録がなく、日本においても、文字、記録はおろか、伝承すらもなく、自らの存在を発信することもしていません。

このことから、「渡来系弥生人」は、

・日本列島までなら到達ができた程度の航海技術をもった人々
・上記の人々とともに日本列島へ渡る機会があった人々
・水田開発の経験がある人が含まれていた。

↑中国沿海付近の寄せ集まった集団=「渡来系弥生人」

このころは、中国人、韓国人というものはなく、様々な集団が入り混じった時期です。

-----------------------------------

紀元前1000年(今から約3000年前)に、日本列島に「渡来系弥生人」が渡来した後、その後の「渡来」が全く無い状態で、「渡来系弥生人」が安定した食糧を確保したため、人口が自然増加し、「邪馬台国」の時代まで至ったかのようにも思えます。確かにその間「鉄器」なども出現しますが、それは必ずしも新たな「渡来人」を意味するものでもありません。

紀元前1000年の、「渡来系弥生人」の渡来以降のまとまった「渡来」は、何一つ証拠がないのです。7世紀以降であれば、たとえ多く見積もって、約1万人の渡来人が来たとしても、当時の日本列島の人口(白村江の戦い(663年)時の日本列島の人口は400万~500万人)から考えて、コンマ以下(0.2%)となります。

卑弥呼の邪馬台国の時代、いろいろ、雑多な100以上の国があり、お互いに戦争、紛争ばかり起こすので、やむを得ず、卑弥呼が出てきて鎮めたと、魏志倭人伝に書かれています。卑弥呼という女性は、いかにも原始的な、怪しげな黒魔術で人々を操ってやっと統治していたのです。

↓魏志倭人伝より
倭人在帶方東南大海之中、依山?爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。今使譯所通三十國。(倭人は帯方郡の東南の大海の中に在り、山島に依って国邑とし、もとは100余国で、漢の頃から大陸への朝貢があり、記述の時点では30箇国が使者を通わせている。)

日本は、古代から「中国、韓国」のような、中央集権的な国ではなかったのです。

一時、権力を持った朝廷ですが、鎌倉時代から明治まで、権力を失いました。安土桃山にしても、江戸にしても、権力を持ったのは、どこの馬の骨ともしれない成り上がり者の実力者です。

古代日本は、いろいろ、多数の、雑多な国、集団が寄せ集まった集合体です。

しかし、お互いに戦争、紛争などの争い事ばかり起こすので、やむを得ず、それを抑える機関が必要となったのです。それは、卑弥呼の邪馬台国も、鎌倉幕府も、そして江戸幕府も同じです。

それが結果的にヨーロッパ的なフューダリズム(封建制)へと、つながっていったようですが、この体制は、当時の中国、韓国と共通性が全くありませんでした。



↓「渡来系弥生人」に関係する地域

中国沿海付近の寄せ集まった集団=「渡来系弥生人」

まず...

eum********さん

2019/4/2713:27:35

例えば、現在のところ、「神武天皇」は古代の人物となりますが、歴史的には3世紀に即位したとされている「応神天皇」以前の、初期の天皇の実在性は不明確です。

皇紀←「日本書紀」の記載内容が元となっており、それが何年前か定量的に求められたのは江戸時代、制定は明治です。

古墳が出現した年代の測定などから、考古学上は大和王権の成立は3世紀前後ではないかと推定されており、「神武天皇」が紀元前660年に即位したことが事実であるという一致した見解は考古学上は成立はしていません。

なお、日本政府は質問主意書に対する答弁書で「辛酉年春正月庚辰朔」は、暦学上、紀元前660年2月11日に当たると述べています。

弥生時代の新しい区分で説明すると、考古学的には、紀元前660年は弥生時代「前期中葉」にあたります。(弥生時代の開始は今から約3000年前)

---------------------------------------------------

弥生時代の開始(本格的にはじまった水田稲作)は、今から3000年前(BC10世紀)に変更されています。

今から3000年前(BC10世紀)に、九州北部で本格的にはじまった水田稲作が「九州北部---->関東」を結ぶ線上を、約800年かかって、ゆっくりと拡大東漸していったことが判明しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3#....

↑2003年、国立歴史民俗博物館の研究グループは、炭素同位対比を使った年代測定法を活用した一連の研究成果により、弥生時代の開始期を大幅に繰り上げるべきだとする説を提示した。これによると、早期のはじまりが約600年遡り紀元前1000年頃から、前期のはじまりが約500年遡り紀元前800年頃から、中期のはじまりが約200年遡り紀元前400年頃から、後期のはじまりが紀元50年頃からとなり、古墳時代への移行はほぼ従来通り3世紀中葉となる。


↓弥生時代の開始年代
http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/050509_fujio/thesis...

---------------------------------------------------


また、最近、古代の年代表記に「1年を2」もしくは「1年を4」として表す考え方があり、例えば「1年を2」だと表記の半分として計算しなければならないという点が指摘されています。

↓大阪市立大学(古代日本では、2倍年暦、4倍年暦が使われていた可能性がある)
http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111F00000...

「神武天皇」が紀元前660年にいたのかもしれないし、違う年代にいたのかもしれないし、いなかったのかもしれません。少なくとも現時点ではそれを肯定、否定する確固たる証拠が見つかっていないということでしょう。

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

ter********さん

2019/4/2713:20:21

今、わかっているのは、2ルートである。

一つは、

今から約3000年前(紀元前10世紀)に、少数の渡来系弥生人が北九州に住み着いて、縄文人と混血しながら、ゴキブリのように自然大発生(子供をたくさん産んだということです)したもの、

今一つは、

弥生時代後期に、アジアの広い範囲から、美女を強奪して、日本列島に連れてきて結婚したもの(半分冗談です)、


いまのところ、判明しているのは、以上↑となります。




青谷上寺地遺跡の調査結果は、渡来人=起源2世紀頃(今から約1800年前)です(↓以下の★のところ)。


----3000年前------------2000年前------------------現在
-------+---------------------+---★--------------------

--中国南部のハツカネズミ--><---朝鮮半島ハツカネズミ--->

........▲..........................▲.........................
..渡来系弥生人.............歴史時代
..の渡来(3000年前)......朝鮮半島との接触
................................は周知の事実


弥生時代(2世紀:今から1800年前)、弥生人はすでに「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血であった。

※典型的な弥生遺跡なので、当初は、渡来系弥生人と思われていたが、遺伝子を詳しく調査した結果、すでに「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血であったことが判明した。




↓母親は大陸から日本に渡ってから日本の男性と結婚したか、大陸で日本の男性と結婚後に渡来した可能性があるという。

読売新聞 2019年3月3日
https://www.yomiuri.co.jp/local/tottori/news/20190302-OYTNT50109/

■弥生後期 国立科学博など解析

鳥取市青谷町の青谷上寺地遺跡で出土した弥生時代後期の人骨の一部は、母親が大陸にルーツを持つ渡来系、父親が日本在来の縄文系だったことが分かった。2種類のデオキシリボ核酸(DNA)を解析した国立科学博物館や県埋蔵文化財センターなどが2日、同市尚徳町のとりぎん文化会館でのシンポジウムで発表した。当時は大陸との間で人の交流が盛んだったことを示すという。

DNAは、細胞の核にある染色体と、細胞質内のミトコンドリアにそれぞれ含まれており、中でも男性が持つ「Y染色体」は父親から、ミトコンドリアは母親から受け継がれる性質がある。同博物館の篠田謙一副館長らは昨年、遺跡で見つかった32人分の骨からミトコンドリアDNAを抽出。配列を調べ、31人が渡来系、1人が縄文系であることを突き止めた。

今年はさらに、渡来系31人のうち、保存状態の良い6人についてY染色体のDNAを解析した。その結果、Y染色体が抽出できた4人中、3人は縄文系で、渡来系は1人だった。

3人の母親は大陸から日本に渡ってから日本の男性と結婚したか、大陸で日本の男性と結婚後に渡来した可能性があるという。今後は分析する個体数を増やすなどしてルーツを詳細に調べる計画で、篠田副館長は「人口の増減や混血の状況、個体の特徴などを明らかにしたい」としている。


【動画】「弥生人」DNA分析 成果報告
https://www3.nhk.or.jp/lnews/tottori/20190303/movie/4040002195_2019...

青谷上寺地遺跡のDNA分析について報告する篠田謙一・国立科学博物館副館長=鳥取市尚徳町のとりぎん文化会館で、園部仁史撮影
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/03/03/20190303oog00m010048000p/9....


国史跡・青谷上寺地遺跡(鳥取市青谷町)で発掘された弥生時代後期とみられる人骨について、県が国立科学博物館や国立歴史民俗博物館と進めるDNA分析の経過報告が2日、鳥取市であった「とっとり弥生の王国シンポジウム」で発表された。昨年実施した母から引き継ぐミトコンドリアDNAの分析ではほぼ全員渡来人系だったが、父から引き継ぐY染色体からは縄文人系の配列がみられた。

人骨のDNA分析研究班の代表である科博の篠田謙一副館長によると、父母から引き継ぐ核DNAを6人について分析した。その結果、男性5人、女性1人で、それぞれの遺伝的な違いは大きかった。男性特有のY染色体のDNA配列を調べると、縄文人系の配列が3タイプ確認された。核DNAの配列を現代の日本人や韓国人、中国人と比較すると、現代日本人のグループ内に位置した。

歴博の藤尾慎一郎教授らが加わったパネル討論では、ミトコンドリアDNAと核DNAともに遺伝的に多様なことが注目された。藤尾教授は「弥生後半に朝鮮半島との交流がうかがえる土器の分布が北九州から山陰まで広がる」と指摘。篠田副館長は「当時、大陸と人的交流をしていたことを、DNAからうかがい知れるのかもしれない」と話した。(長崎緑子)

朝日新聞デジタル 2019年3月3日03時00分
https://www.asahi.com/articles/ASM3233PCM32PUUB001.html

毎日新聞 2019年3月3日
https://mainichi.jp/articles/20190303/ddl/k31/040/287000c?inb=ra


↓篠田謙一教授(医学博士 日本人類学会会長 国立科学博物館人類研究部人類史研究グループ長 国立科学博物館副館長 京都大学及び放送大学客員教授)

今、わかっているのは、2ルートである。

一つは、...

chi********さん

2019/4/2713:12:51

ミトコンドリアDNA、Y染色体ハプログループ、核ゲノム(DNA)による総合計算からは、渡来系弥生人は「少数」という結果が出ます。

「日本列島」において、最初は「縄文人」が日本全国に居住していたが、今から約3000年前に、中国大陸から直接、それほど多くない「渡来系弥生人」が九州に渡来した。

「渡来系弥生人」は、「縄文人」と「混血」を繰り返しながら、安定した食料である水稲を持ち込んだため、「人口爆発」した。

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「渡来人」とは、7世紀以降の、「中国、朝鮮」から渡来人を指すが、日本列島人の遺伝子プールへの影響は、殆どないと考えられるので、ここでは述べない。

今から6~7万年前に私達、現生人類(ホモサピエンス)はアフリカを出て世界に広まりました。

DNAは塩基の並びです。そしてDNAは、まれですが「突然変異」が発生します。

突然変異とは「DNAの塩基の並びの変化」です。例えば、細胞分裂の際の「コピー(複製)ミス」、その他の要因で継続的に発生します。

そこでDNAの突然変異を調べ、それを系統的に分類すれば、アフリカを出た私達が、どのような道をたどって今に至ったかをたどれるかもしれないという発想がありました。

例えば、同じ集団でも、2つに別れ、別々の道を歩んだ場合、別れた時点から、その2つの集団は、別々の突然変異をもつことになります。

さて、それでは、何のDNAを調べるかということになります。普通の常染色体のDNAは、卵子、精子を作る際の「減数分裂」において対となる染色体同士で、遺伝子の組み換えが行われてしまいます。そのため、すんなりと「系統分析」ができません。

そこで目をつけたのが、遺伝子の組み換えが行われない「ミトコンドリアDNA」と「Y染色体(対となる染色体が無い)」です。

「ミトコンドリアDNA」は「卵子」とともに「子」に伝わります。「精子」については、「尾」の部分に「ミトコンドリアDNA」がありますが、「受精」の際に、「尾」が切り取られ(父系ミトコンドリアは入り込んでも卵子内で消滅する)、「卵子」に入り込まないので「子」に伝わらず、「母→子(男女)」で継承されます。「Y染色体」は当然「父→子(男のみ)」で継承されます。

【★注1】
↓卵子に父系ミトコンドリア(精子由来)入り込むが、卵子内で消滅する(オートファジーなどによる分解)
http://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/085/research/2.html


ここで、あなたの祖先を10世代(1世代30年)追ってみましょう。

2の○乗=1(あなた自身)、2(両親)、4(祖父母)、8、16、32、64、128、256、512(10世代目)となります。また、512人のうち、256人が女性、256人が男性です。

さて、あなたの「Y染色体ハプロタイプ」は「256人」の男性のうち、たった1人の男性から引き継いでいます。

また、「ミトコンドリアDNA」も「256人」の女性のうち、これもたった1人の女性から引き継いでいます。

しかし、あなたの遺伝子は、男女512人から、公平に512分の1づつ継承します。正確には染色体は46本なので、確率的要素も入ってきますが、対となる染色体どうしで遺伝子の組み換えも行われており、基本的には512分の1で問題はないと考えます。

つまり、あなたの「Y染色体ハプロタイプ」「ミトコンドリアDNA」は、偶然、引き継いだだけであって、あなた自身に対しては「何の意味もない」のです。

「ミトコンドリアDNA」も「Y染色体ハプロタイプ」も、いずれも個人的には何ら意味を持ちません。

あなたの属する集団において、「ミトコンドリアDNA」、「Y染色体ハプロタイプ」が「何%検出されるか」ということだけが意味をもつデータとなります。

-------------------------

日本列島に広く薄く「縄文人」は居住していました。そして、今から約3000年前(紀元前10世紀)に「渡来系弥生人」が「九州」に渡来しました。

「渡来系弥生人」は少数、そして、「渡来系弥生人」は「水稲」という安定した食料を確保していたことと、農耕集団であったため、

追加の渡来がほとんど無い状態で、爆発的に人口自然増加した。そして、繰り返し繰り返し「縄文人」との混血が行われたと推定されます。

「渡来系弥生人」が、著しい「自然増加」しつつ、「縄文人」と繰り返し「混血」が起こると、以下の事象が起こります。

・「核ゲノム(実体)」は「渡来系弥生人」が多くなる。

・「縄文人」のY染色体ハプロタイプ、ミトコンドリアDNAの「マーカ」の検出比率が「大きく」なる。

★上記の証拠に、日本人(ヤマト人)の「縄文人」由来の「マーカ」が、日本人(ヤマト人)の40~50%、つまり半分にも匹敵する、膨大な量が検出されるのです。

---------------------------------------------

「日本人(大和民族)」の

-------------------------------------------------
・女系の「ミトコンドリアDNA」は「縄文系」が40~50%
・男系の「Y染色体ハプロタイプ」は「縄文系」が35~40%
しかし、
・「核ゲノム(実体)」は約12~15%
-------------------------------------------------

↑変だと感じませんか?

女系も男系も最低でも「35~40%くらい」あるのに、実体は「僅か12~15%」、何故だと思いますか?


-------------------------------------------------
渡来系弥生人が「大集団」で渡来したら、

「ミトコンドリアDNA」=「Y染色体ハプロタイプ」=「核ゲノム(実体)」

となります。
-------------------------------------------------

また、

-------------------------------------------------
渡来系弥生人が継続して渡来しても、

「ミトコンドリアDNA」=「Y染色体ハプロタイプ」=「核ゲノム(実体)」

となります。
-------------------------------------------------

縄文系の「マーカ」がすごく多いのです。例えば「イリーガル」を考えて

-------------------------------------------------
縄文人が渡来系弥生人の女性を多数「はらませた(子供を作った)」、これだと「Y染色体ハプロタイプ」が多いのは説明つきますが、じゃあ、「ミトコンドリアDNA」が多いのは?、渡来系弥生人が縄文人の女性を多数「はらませた(子供を作った)」?、結局は、

「ミトコンドリアDNA」=「Y染色体ハプロタイプ」=「核ゲノム(実体)」

となります。
-------------------------------------------------

「ミトコンドリアDNA」=「Y染色体ハプロタイプ」>「核ゲノム(実体)」

は成立しません。つまり、「核ゲノム(これが実体であり正解値です)」は少ないのに、「マーカ」は「女系」も「男系」も、極めて多いのです。



↑実は、これが非常に大事な「ポイント」の一つなのです。



以下の「ケース」の場合、

「ミトコンドリアDNA」=「Y染色体ハプロタイプ」>「核ゲノム(実体)」

が成立します。

-------------------------------------------------

日本列島全体に「縄文人」は広く薄く点在していたが、渡来系弥生人が、ある一時期、それなりの数(それほど大量ではない)が渡来した。

しかし、その後、大陸からの渡来系弥生人の渡来が、極めて僅かか、まったく来なくなった。つまり「渡来系弥生人」は「日本列島」に事実上、孤立してしまった。

「渡来系弥生人」は「水稲」を持ち込んだため、人口が爆発的に自然増加(農耕には人手がいりますからね)。

ここで、「渡来系弥生人」の集団に、「縄文人(男女とも)」が入り込んで、混血化した。ただし、一度に大量ではなく、少数ずつ、何回も、何回も、継続してそのような混血化が行われた。

「渡来系弥生人(絶対多数)」に「縄文人(僅か)」が混血化しても、最初のうちは、子(2分の1)、孫(4分の1)、8分の1、16分の1、32分の1というように、時間とともに「核ゲノム(実体)」は減少し、最後は「縄文人」の遺伝子は消滅してしまいます。

しかし、「マーカ」については、運よく「配偶者」が見つかり、子孫を残せれば「マーカ」は残るのです。つまり、「核ゲノム(実体)」と「マーカ」は、その増減の理由が全く異なるのです(だからアンマッチが生じます)。

「渡来系弥生人」の集団に、「縄文人(男女とも)」が少数ずつ、継続して混血化すると、最初はどんどんと「縄文系」の「核ゲノム(実体)」は減っていきますが、それが繰り返されると、「縄文系」の「核ゲノム(実体)」はそれなりに溜まっていき、日本人という遺伝子プールの一つの安定した要素となります。

対する「ミトコンドリアDNA」「Y染色体ハプロタイプ」の「マーカ」は、時間とともに減少はしないので、どんどんと蓄積されていき、最後は、遺伝子の実体である「核ゲノム」を追い越して、

「ミトコンドリアDNA」=「Y染色体ハプロタイプ」>「核ゲノム(実体)」

つまり、結果として、

-------------------------------------------------
・女系の「ミトコンドリアDNA」は「縄文系」が40~50%
・男系の「Y染色体ハプロタイプ」は「縄文系」が35~40%
しかし、
・「核ゲノム(実体)」は約12~15%
-------------------------------------------------

となるという「メカニズム」です。


↓Y染色体ハプロタイプ(男系の「Y染色体ハプロタイプ」は「縄文系」が35~40%)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.9...

ミトコンドリアDNA、Y染色体ハプログループ、核ゲノム(DNA)による総合計算からは、渡来系弥生人は「少数」という...

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