江戸時代のえたひにんの子孫は、苗字でわかるときいたことあるんですが、どんな特徴ですか?

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ローカル的には被差別部落出身として有名な姓はあるようです 差別に荷担したくないので具体的には書きませんが、現在の解放同盟の執行委員長をしている方の姓はその地域ではその種の姓として有名なものだとのことです(雑誌の対談でご本人が明言してましたので・・・) しかし、普遍的に被差別部落民の姓というのはありません 俗説として、「河や川が入る」とか「皮(革)が入るる」「家畜である動物の名が入る」とか言われますが、デタラメです 河や川とか牛とか入る名字の武家はいくらでもいます 「革嶋」という山城の国人(山城国一揆三十六人衆の一人)もいますが、清和源氏の名家です 私の名字も、とある清和源氏の名門の武家の同じですが、関西方面のとある部落ではこの苗字は比較的多いとも聞きました おそらくは、旧皇族と同じ姓の部落出身者だっているでしょう 「金が付くのはみんな在日」より根拠のない話と思います

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多くの人が被差別部落の正しい実態について知らないことが多く、憶測や噂で判断されていることが多いと感じますので、被差別部落の実態について正しい真実を後世に伝えていく必要もあるのかなと思います。正しい真実と書いたのは今まで一般的に言われてきた被差別部落の実態や学校教育で語られてきたことが間違いだらけだということです。一般的に言われている被差別部落のイメージだけがひとり歩きしてしまい、マイナスの被差別部落像が作りあげられてしまっていると思うのです。士農工商は江戸時代の身分を正確にあらわしている言葉ではありませんし、これは明治時代になって儒学者が中国の四字熟語をもとに言い出しただけにすぎません。士農工商の後ろに穢多非人をくわえて士農工商穢多非人などと言われる方がおられますがこれも正しくありません。実際の江戸時代は常民といわれる百姓や町人などいわゆる一般人がおり、非常民と呼ばれる武士や穢多、公家、僧侶などがいました。穢多は武士の下に位置し、百姓や町人とは違う別の存在として位置していたとも言われています。また被差別部落は怖いところでいつも貧しくて哀れで悲しみに満ち溢れているかのごとく語られてきましたよね?今までの学校教育にしろ世間で語る場合にしろ。だけど果たしてそれが真実なのかと考えたときに、近年いろんな研究がなされて事実は違うということが言われてきたんです。江戸時代の人口のほとんど90%が百姓身分なので、その中で自分の先祖が1%の穢多身分であったって物凄く貴重でかっこよくないですか??わたしはそう思うのですが(^^)私は両親とも被差別部落出身で、先祖はすべて穢多身分に繋がるので、江戸期のこの1%の人々の血しか流れてないことになります(^^)さて、近年の研究において江戸時代の穢多の生活は経済的に比較的安定していたと考えられています。江戸期の人口動態を見てみますと江戸時代を通して百姓の人口が停滞・減少しているのに対して穢多の人口は着々と増加しています。これは百姓が飢饉などで餓死・離散したり、貧しさの中で生まれた子どもを間引くということをしていたからです。しかし穢多は主産業の農業に加えて特権として与えられていた弊牛馬取得権や、行刑役などをして生活しており経済的に安定していたため、子どもを間引くということが少なく、子どもを育てていけるだけの生活力もあったということです。穢多の職業は皮革業と言われることが多いですが、穢多は皮革業だけでなく農業や商業、工業など地域によって異なりますが、多様な仕事を担ってきました。私の生まれ育った地域では少なくとも江戸期から農業をしてきました。この地域は江戸時代に相次ぐ飢饉で百姓が餓死し、村から出奔したことで農業人口が減少し、藩の政策により他地域から人々を移住させ農業人口を保ったことによります。移住してきた人々は、村を出奔した者や元の身分を言えない人々などがおり、これらの人々が新百姓として農地を与えられました。これがのちの被差別部落になりました。私の先祖もこのとき他地域から移住してきたと思われます。主産業が農業ですので百姓とまったく同じように農地を持ち年貢を納めてきました。ただここで言いたいのは、百姓と同じ農業をしていても差別はあったのではないかと言うことです。この地域の明治初期の記録を見てみますと、被差別部落の者で農地を数町所有する者が比較的多くいることがわかります。小作人に農地を貸付けるだけの農地を所有する被差別部落の地主もおります。我が家の本家などは所有する農地は少ないほうですが、それでも明治時代から数町の農地を所有しており、作男と呼ばれる奉公人を雇っておりました。また明治十年代に被選挙権を持つ被差別部落の者もおります。この頃の被選挙権は一定以上の国税を納めた男子でないとなれないので、それだけでもある程度の経済的があったということが伺えます。町誌によると明治半ばの村会議員名簿にも被差別部落の者が載っております。またこの地域では大正時代あたりにはじめて被差別部落の者が村長になりました。明治三十年代の◯◯県富豪家一覧表という記録には、私の曾祖父の義兄(姉の夫)が村の富豪家として記載されております。また私の地域では江戸期につくられた墓石も残っておりますが、ちゃんと名字も彫られています。元治元年七月十日水瀬イヨ(仮名)、弘化四年十一月一日七十一年柳川カヨ(仮名)のように墓石が作られたのは江戸時代末期ですがきちんと名字が記載してあります。もちろん全ての墓石に名字が彫られているわけではなく天保九年松五郎母などのように名字が彫られていない墓石もあります。これらはもちろん被差別部落の墓石です。このように被差別部落であっても必ず貧しいわけではなく、地域によって生活実態は全く違いましたし、被差別部落の内部にも格差があったということです。特に江戸時代の穢多は貧しいどころか、百姓よりも経済的に安定し、むしろ豊かだったのです。しかし、いくら豊かだったからといって差別がないわけではなく、豊かであっても差別はされてきたのが事実です。例えば私の曾祖父は、何かの手伝いに部落外の村に行ったときに手の上に直接ご飯を落とされたと言っておりました。それ以外にも祖父母から差別体験を聞いてきました。言いたいのは、貧しさ=差別ではないということです。いくら裕福であっても差別はされたということは、やはり根底には昔からの穢れ観念があるのではないかと思うのです。被差別部落が段々貧しくなっていったのは明治時代になってからのことです。しかし、まずはこのような被差別部落の事実もあるということを多くの人は知らなさすぎますので、まずは真実を知るということが大事なのではないかと思います。あと一人の人間にどれだけの先祖がいるかを考えてみてください。父母二人、祖父母四人、曾祖父母八人、高祖父母十六人、その上三十二人、その上六十四人と遡っていくので、ものすごい数の先祖がいます。そのうちのたった一人でも欠けていたら質問者さまはこの世に存在しないんです。その莫大な数の先祖のすべての当時の身分や職業などを正確に把握してますか?そもそも把握は出来ないなずなので、それを考えると被差別部落とか被差別部落じゃないとか何の意味ももたないということです。ただ一つ言えることはどの身分であろうが、先祖がその時代を精一杯生きてきたからこそ、子孫があり、質問者様がいまを生きることが出来ているということです(^^)

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すでに回答がついていますが。 スレ主さんが、この質問をどのような理由でされたかはよくわかりませんが。 回答としては、f27***さんとcel**さんの回答が、最も的確に指摘されているかと。 また、地域によっても事情がかなり違ってくるようです。 私の知りうる範囲で言うと、江戸時代からの部落差別・身分差別において、いろいろな点において、関西地区はかなり強いように思われます。 先の方も書かれていますが、明治時代の「平民苗字必称義務令」で姓をつけるときに、いろいろな方法で姓がつけられたようです。それこそいわゆる「屋号」みたいにしてつけたというのもあるようですし、その地域の人たちが同じ苗字をつけた、住んでいる場所からつけた、元からあった苗字を引き継いだ、などなどですから、スレ主さんが質問されているような「江戸の身分差別を苗字で判断する」というのは、全国的な話をするとしたら、ムリでしょう。 でもその一方で、関西の一部の地域など、今でも部落差別が根強く残っている場合は、職業や苗字、住んでいる地域などから、江戸からの身分差別を色濃く残している、ということも現実としてあるようです。 なにより、関西地区はある意味他の地域より古くから文化が発展していることがありますから、ある意味身分差別にかかわることは、江戸時代の身分制度などよりはるかに長い歴史がありますから、なかなか消えない、という側面もあるのでしょう。 それこそ、さきの明治時代の「平民苗字必称義務令」においても、被差別出身であることがわかるような苗字を半ば強制的につけられた、ということもあったようです。 スレ主さんが質問されている内容においても、そうした話の名残だと思われます。 というわけで、結論から言うと 「身分差別の名残は苗字に現れることもある」 ということであり、 「苗字で被差別部落出身者であるかをある程度の確実性をもって判断することはできない」 となるかと。 参考までに

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>江戸時代のえたひにんの子孫は、苗字でわかるときいたことあるんですが 大ウソですね、それも相当クダラないレベルの… そりゃ、何でも好き放題の事が言えるネットで探せば、それっぽい事を言っているサイトは見つかるでしょうけどね… そもそも、被差別部落出身にどんな苗字が多いかを知ろうと思ったら、全国の被差別部落の住民を対象にした苗字のデータベースがなきゃわかりませんが、そんなものあるはずがないです。『お上』からしたら、そんな情報は全く不要なんで… だいたい、苗字でわかるぐらいなら、『部落地名総鑑』なんてものがかつて売られていた訳がないです。1970年代後半に、『部落地名総鑑』を購入していた企業があった事が問題になりましたが、苗字でわかるぐらいなら、そもそもそんな商売自体が成立していた訳がありません。 ホント、馬鹿馬鹿しい、としか言えませんね。 未だにそれを知りたがる連中にとっては、圧倒的に住所、次に職業が重要です。 ↓で曹洞宗が『身元調査お断り』と言っているのは、結婚相手の身元調査に於いて、寺の過去帳迄調べて、被差別部落出身かどうかを調べようとする興信所・探偵社なんかがあるからです。 名前でわかるぐらいなら、過去帳を調べる以前に、そんな事の調査を興信所や探偵社に頼む連中がいるはず、ないです。 例えば、↓のページ及びそれ以降は、国立国会図書館デジタルコレクションで見られる、1928年に司法省刑事局がまとめた『思想犯罪輯覧』の中の水平運動(今で言う部落解放運動)で検挙・有罪になった人物の名前が出ています。100%全員かはともかく、大部分は被差別部落出身者のはずですが、鈴木だの小林だのと言った非常にポピュラーな苗字もバンバン出て来ます。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1444740/176 なお、Googleの様な検索エンジンだと、ほとんどの人からしたら『馬鹿馬鹿し過ぎてコメントの対象にすらならない』(たから、言及もされない)様なタワゴトを、一部のブロガーなどが積極的に拡散しまくっていると、検索結果上位にそのタワゴトが登場してしまう、って事も充分あるのでご注意下さい。

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名前だけでは無意味です。意外にヨツは普通の名字を名乗ってますよ。 明治に各自好きな名字を名乗ってるので、ヨツと紐付けできる名字を確定することは困難ね。ヨツに付いては、昭和10年までの住所(親族を遡って)を元に部落地名総鑑で検索すれば確実です。 しかし、今や住民票も戸籍も閲覧は難しいですから、特に転居している場合は、過去の住民票を記した付票を見ることは家族までですからね。 本籍地も、変更していればもうお手上げ!免許証も本籍は記載しなくなったからね。

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