ここから本文です

幕藩体制と封建制度をめっちゃ短く分かりやすく説明お願いします!

アバター

ID非公開さん

2019/5/2219:38:54

幕藩体制と封建制度をめっちゃ短く分かりやすく説明お願いします!

後このふたつがなぜ武士中心の社会をつくるのかも教えてください!

閲覧数:
54
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2019/5/2222:19:06

封建制度とは、土地の支配権を保障することで主人と家来の関係を結ぶシステムです。
日本史において、武士、というのは本質的に「農地を持ってるひと」のことをいいます。自分のたったひとつの領地と、そこに住む農民を大切にし、それが攻撃されたり奪われそうになったら命懸けで守る、これを「一所懸命」といいます。それが「武士」の本質です(むやみに戦争したがって他人のものを分捕りたがる人間を武士というのではありません)。
小さな土地の領主は、自分の力だけでは土地を守れません。そこで、より大きな力を持った親分の家来になり、その土地の所有権を保証してもらう。その代わり、いざ戦争になった場合には自分の兵隊を引き連れて駆けつける。これを「御恩と奉公」といいます。自分の土地が危なくなったら、親分がみんなを引き連れて助けにきてくれる。仲間の領地が危ないときは自分がかけつけてやる。
この「互助保険組合」みたいなものが「鎌倉幕府」であり、その棟梁として皆に担がれた御神輿が「将軍」だと思ってください。
将軍に従う土地領主が「御家人」です。自分の領国を将軍から保障してもらい、そのかわり将軍の号令がかかったら自前の軍を率いて駆けつけます。
このシステムが正常に機能していれば、隣の領主が弱いからといって勝手に略奪したり征服したりはできません。「永遠の現状維持」が武士にとっての理想社会です。
このシステムが機能不全を起こした状態が「戦国時代」であり、これをもう一度纏め上げたのが徳川家康です。家康が作り上げた江戸幕府を中心とした日本の仕組みが「幕藩体制」です。

幕藩体制というのは、ひとことでいえば「地方分権」です。
国全体のことは幕府がやる。地方の統治は藩(大名)がやる。責任分担はきっちり分ける。これが「幕藩体制」です。
藩、つまりと大名いうのは、いわば半独立国の王様みたいなもので、自分の領地は独占的に支配することができたんです。
藩内の政策について幕府が口出ししてくることはありませんし、幕府は大名の領内から税は取れません。各大名は、自分の工夫で自分の領地を豊かにする責任がある。だから地域ごとの文化が花咲く。
そのかわり、幕府の政治には一切、口を出さなくてよろしい。国のことは全部こっちがやるから。
ただし、いざ将軍の命令がかかったときには、自前で人数を揃えて馳せ参じなければいけません。それが武士の主従関係です。
「いざ」というのはつまり大坂の陣とか島原の乱みたいな戦争、とは限りません。江戸城の普請であったり、東照宮の造営であったり、木曽川の治水工事であったりすることもあります。
これらはみんな軍役に準じるものですから、費用は全部大名もち、というより、最初に幕府からあづかった何十万石に「込み込み」で含まれている、これが封建制度というものの常識です。
「目をつけた大名に、まったく関係ない土地の工事を押し付けて、経済的に疲弊させる、幕府ってなんて悪どい組織だ」と思う人がいますが、それは、違います。ときどき非合理に見えても、こういう仕組みでできてる国なんです。
これが幕藩体制です。

ちなみに「国のことは全部、こっちでやる」という、この「こっち」というのは誰か、というと、これが「譜代」大名です。
徳川幕府というのは、三河松平家という田舎大名がそのまんま大きくなったもので、幕府の仕事はすべて、三河以来代々松平家に仕えていた家来たちがやります。老中だ大老だといっても要するに「じいや」です。
豊臣時代に同格だった大名たちはいわば「お客様」であり、徳川家の台所には入れません(入るいわれもない)。これが「外様」。また、殿様のご親戚も、台所仕事はしません。これが「親藩」。 親藩も外様も、幕府の役職につけない、という意味では同じです。
譜代大名は、大名といっても、最初に書いた「独立王国の王様」という性格とはかなり異なります。彼らは「徳川の家来」であり、自分の領地を治めるより、幕府の仕事をするほうが優先されます。だからしょっちゅう配置転換があります。
外様の大大名があちこち転封されたのは実は江戸幕府ができた最初のときだけです。大方は、先祖伝来の自前の領地をずっと治めています。外様大名は、幕府の政治に参加しませんから、出世もなければ失脚もありません。だから転封されることはまずありません(やったら大混乱になりますし)。
でも、譜代大名はけっこう転封が多いです。幕府の職が代わると、それに相応しいところにぐるぐる動くからです。
日本の政治を、トップの将軍と譜代大名だけで独占していた、というネガティブな言い方をするひとは多いですが、それは幕府、「中央政治」だけの話です。地方政治はほとんど各大名に任されていた、ということであって、決して「譜代以外は差別されて、除け者にされていた」ということではありません。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

プロフィール画像

カテゴリマスター

ポアロさん

2019/5/2221:01:24

封建制度とは諸侯に国内の土地を切り分けて与える制度です。その領地の中ではどんな政治をしようと領主の自由です。ヨーロッパで中世(あのガッチャンガッチャンとしたフルアーマーの鎧を着た騎士たちの時代)の政治システムでしたが、日本国においてはこの封建制で19世紀(明治の開国)まできてしまいました。

秀吉の天下統一とは、秀吉が日本中を制服したのではなく、戦国時代に武士達が争い分割した国境線を隈なく定め、以後の領地争いを禁じたものです。領地をめぐる私的な闘争を禁じる命令を日本国中に行き渡らせる事を【天下統一】と言います。
ですからこの体制は武士の支配を認める形で成り立つので、社会の中心は武士なのです。

では日本はヨーロッパよりひと時代遅れていたのかというとそうでもありません。各大名は自分の領地があると言っても、いつなんどき国替えをされるか、これは基本幕府の思うままでした。「大名は鉢植え」という言葉があったくらいで、簡単に置き換わるという事を意味しています。
大型土木工事があれば私費で普請させられ拒否権はありませんし、自分の次の跡取りを決定するにも幕府の許可がなくては自由に決める事さえ出来ませんでした。

また大名には自領の中でのみ通用する紙幣の発行権もあったのですが、他藩とのやり取りには幕府の貨幣で決済するしかなく、一生のうちの半分を過ごす江戸住まいの時にも必要な金子は幕府のものなのですから、経済的にも幕府の支配を受けている状態でした。つまり封建制とはいうものの、大名の自由裁量権は著しく制限され、事実上は幕府よりその地域の運営を命ぜられた吏僚に過ぎないという側面が強かったのです

つまり日本は遅れていたのではなく、古い封建制を近代的な中央集権制に似た形に修正させ、リメイクして運用していたのです。これが幕藩体制です。

shi********さん

2019/5/2219:42:14

封建制とは、君主がいて、その下に諸侯がいることです。君主(幕藩体制でいうところの幕府又は将軍)は諸侯(諸藩)に対して領地所有を認め、諸侯は君主に忠誠を尽くし、様々な義務を負います。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる