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天理教の教会の中でなぜ愛町分教会があれだけ伸びたのですか?

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ID非公開さん

2019/5/2323:06:22

天理教の教会の中でなぜ愛町分教会があれだけ伸びたのですか?

ほかにもたくさん教会はあるのにとても不思議です。

他に多いところ規模が大きくなっているところはあるのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2019/5/2514:44:13

こんにちは。

教科書的な回答になってしまいますが…

愛町分教会の初代会長関根豊松先生は、「神人」と言われるくらい不思議なおたすけで実を挙げた方でした。
元々東京の日本橋に生まれた関根豊松先生は、18歳より麹町支教会に入り込み道一条となられます。大正12年4月、43歳の時に大森町支教会長を拝命するも間もなく濡れ衣を着せられて辞任、愛知県の半田の岩滑というところに単独布教に出られました。そして大正14年12月に愛町宣教所、現在の愛町分教会の前身ができます。
そして昭和44年に逝去されるまで数え切れないほどの方を助けて通られました。
関根豊松先生はお道に対してはものすごく厳しい方であったと聞いております。誰も見ていないところでも決して自分に妥協せず、お道を通りきったそうです。
そういう方に育てられたお弟子さんたちも次々とおたすけの実を挙げていったようで、助けられた人がどんどんと愛町に押し寄せ、教殿も敷地もどんどん広くなっていったそうです。
余談ですが、現在の愛町分教会の立体駐車場のあるところにはかつて病院がありましたが、患者さんが愛町にどんどん助けられたためにいなくなり、病院が無くなってしまって愛町分教会が買い取ったというお話も聞きました。
長くなりましたが、まとめると初代会長があまりにも偉大であったこと、そして真面目にお道を通りきったことが愛町の隆盛の基礎にあると思います。

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bkx********さん

2019/5/2515:21:30

そうとたちのわるいかねのあつめかたをしたからだとおもいます

編集あり2019/5/2323:30:16

元を辿れば初代会長の上級筋の謀反から始まった教会だから、今も信者が天理の学校に進学しなかったり、他系統と結婚しなかったりと、カルト的な教団ほど伸びる法則と紙一重だけど、他も昭和の時分は大教会に上がる所も多かったから、同じく初代会長が有名な岐美の越美や、本理世が伸びる切っ掛けになった本芝房や、今の韓国の代表の八木の元南星や、ネットで叩かれてる兵神の天浦や本島の赤峰とかが新参として後を追う勢力かな(笑)

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