ここから本文です

昭和59年、田岡一雄山口組三代目組長と山本健一若頭が病死して四代目組長の座を...

アバター

ID非公開さん

2019/6/102:00:03

昭和59年、田岡一雄山口組三代目組長と山本健一若頭が病死して四代目組長の座を巡り山一抗争が勃発しました。

当時、山本広四代目組長代行が最も有力候補でしたが田岡文子未亡人との相性が悪く彼女と相性のいい竹中正久竹中組組長を四代目に推挙しました。

そこで山本広は竹中正久に反発する幹部たちと山口組を離脱して一和会を結成しました。
ここで、山口組側も一和会側も最も重要な関心事は三代目山口組最強最大組織の加茂田組の動向でした。

超武闘派組織で潤沢な資金力のある加茂田組4,000人がどちらにつくか、あるいは一本でいくかが最大の関心事でした。
結果的には一和会側につきましたが、もし田岡文子未亡人が説得して四代目に襲名していれば山一抗争もなく、もちろん今の山口組の分裂もなく四代目山口組は盤石な体制であり続けていたのじゃないでしょうか?

山口組内部でも他の組織でも最大最強超武闘派組織加茂田組4,000人を相手に抗争する組なんていませんでしたよね?

閲覧数:
150
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

hon********さん

2019/6/106:27:34

そうですね。

「山口組」の検索結果

検索結果をもっと見る

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

afs********さん

2019/6/120:06:23

結果、解散しとりますやん

あわせて知りたい

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる