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嵯峨天皇は弟の淳和天皇に譲位し、ついで皇位は嵯峨の息子の仁明天皇に伝えられた。

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ID非公開さん

2019/5/2523:11:57

嵯峨天皇は弟の淳和天皇に譲位し、ついで皇位は嵯峨の息子の仁明天皇に伝えられた。

ってどういうことですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

met********さん

2019/5/2609:14:00

嵯峨天皇は譲位後も実権を握っていました。

嵯峨天皇は先々代の桓武天皇の息子で、先代の平城天皇の同母弟、淳和天皇は異父弟です。

嵯峨天皇は天下の三筆と言われるほどの書の達人であるだけでなく、聡明で学問好き。父である桓武天皇に愛されていました。

本来であれば平城天皇の後はその息子の高岳親王が継ぐべきですが、桓武天皇のわがままで、平城と高岳の間にピンチヒッターとして嵯峨天皇を即位させました。

これには平城天皇がカチンと来てしまい、兄弟の仲が悪化してしまいました。
その結果起きた薬子の乱で嵯峨天皇側が勝利し、高岳親王は皇太子から降ろされました。
しかし、嵯峨天皇も高岳親王の後に自分の子を皇太子にしたのでは露骨すぎると思ったのか、異父弟(後の淳和天皇)を皇太弟にしました。

淳和天皇は本来は天皇になれる見込みがなかったのに即位できたのですから嵯峨の言いなりです。
それで結局嵯峨の皇子(後の仁明天皇)を自分の皇太子として受け入れ、さらに代々仁明の子孫が皇位につくことに同意したのです。

鎌倉時代の両統迭立の経緯と大変似ています。

なお、高岳親王はどうなったかというと、確か探検家になってチベットまで行ったんじゃなかったかな。

また平城天皇のもう一人の皇子は姓をもらって臣籍降下しました。在原氏の祖です。子孫に在原業平がいます。

  • met********さん

    2019/5/2609:26:35

    失礼。
    高岳親王は出家し、僧として高位に昇りましたが、60代の老齢で唐に渡った後、さらに海路天竺を目指そうとしてマレー半島で亡くなったとのことです。

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質問した人からのコメント

2019/5/26 09:48:27

とても分かりやすかったです。ありがとうございました

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

kop********さん

編集あり2019/5/2608:46:57

弟じゃなくて、兄貴です。

さらに上の兄貴を追い出すのに協力した実の妹の亭主ですよ。

妹が若死にしたので、自分の長女を皇后にさせました。皇后の双子の弟が仁明天皇です。

あー、めんどくせ。

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