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唯物論における死後の世界と宇宙に関して。 物理学、特に宇宙について、あるいは脳...

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ID非公開さん

2019/5/2602:00:24

唯物論における死後の世界と宇宙に関して。 物理学、特に宇宙について、あるいは脳科学に詳しい方、可能であれば唯物論者の方にお聞きしたいです。

最近、死後の世界など存在せず、死後は無でしかないのではないかという考えを良くするようになり、いろいろ調べてみましたが、唯物論者の文章は無であるという結論のみで完結している内容が殆どでした。
また、否定派の内容も宗教的な視点のみで書かれたある種胡散臭い内容が多く、あまり知りたいことについて踏み込んだ内容の文章を見つけることができませんでしたので、ここにて質問をさせていただきます。

その内容というのは、仮に死後は無でしか無かったとしても、永遠の無ではないのではないかということです 。
唯物論的視点においては意識、自我、あるいは心や魂といったものは、脳によってもたらされている幻や錯覚のようなものでありもともと存在せず、人は記憶によって自分は自分であると認識しているだけだという考えが主流のようです。
その理屈の上では、自分の死後に自分と全く同一の記憶の持ち主が現れた場合、自分という意識の錯覚はその記憶の持ち主に引き継がれるのではないかという考えに至ったわけです 。

有名な思考実験のスワンプマンやあるいは未来の技術によって電脳世界にアップロードされた人格に関して、唯物論者の方は自分と同一であるという考えの方が多いようです。
意識が脳によって物理的な要因のみでもたらされると考えた場合、脳以外の身体が原子レベルで一致している必要はなく、また脳に関しても、ノンレム睡眠や全身麻酔などで意識を失った状態の中でもごく僅かな違いは生じているはずであり、原子レベル、ましてや量子レベルで同一ではないはずです。
にもかかわらず、意識を失う前後で自己認識に問題が生じることはなく、また、脳に強い衝撃を受けたり損傷したりした前後でも、記憶が大きく失われたり脳機能自体に問題が生じない限り自己認識を失ってはいないと思われます。

そのことを前提にすると、自分の死後、全宇宙の中のどこかの時代あるいはそのどこかにあるコンピュータの中に自分と脳の構造の大部分が同じ存在が生まれれば、その脳に自己認識が引き継がれるのでは?という考えに至りました。
ひとつの命としての意識の連続性が途切れていますが、前述した通り人は生きているうちにもたびたび意識を失います。また意識がなければ時間というものを認識できないはずなので、どれだけ時間が離れていようが関係ないはずです。
もちろん偶然自分とほぼ同じ脳構造の持ち主が生まれる可能性など限りなく0に近いことは承知していますが、宇宙の誕生や生命の誕生が実際に起っていること、また宇宙全体の大きさと億や兆という単位の時間の中ではでの膨大な試行回数の中では決して無視できる確率ではないはずです。

また無神論者で唯物論の持ち主で知られる故ホーキング博士の支持していた多元宇宙論やホーキング博士の共同研究者で知られるペンローズ博士の唱えた共形サイクリック宇宙論、または量子力学における多世界解釈等を考慮すると、試行回数は限りなく無限に近い膨大な数になります。
実際に、多元宇宙論においては確率上起こりうることは100%起こると説明されることもあるようです。

他の宇宙まで考慮した場合、仮に存在したとしたも認識も干渉もできなければ意味がないと取られることもあると思いますが、意識や自我が脳や記憶の上に成り立つ錯覚ではじめから存在していないと定義した場合、存在しないものはあらゆる物理法則にとらわれていないはずであり、仮に私達が認識できない世界であったとしても、自分とほぼ同じ脳と記憶さえ持っていれば、死後の自己認識の維持はできるのではないかという考えです。仮に不可能であった場合、意識や自我が物理法則の中にそれ自体が単体で存在することになります。

仮に死後の世界が存在しないのだとしても私達の時間や空間のとらえ方ではでは認識できないどこかで、自己認識を引き継ぐ存在が生まれる可能性があるのではと考えました。

また、意識はどこまで意識なのかという問題は、非常に難しく現状定義できないと思われる問題ですが、脳が活動を停止する寸前までを意識とする場合でも、死の寸前のわずかな脳活動と同じ活動をする存在はおそらく地球上の何処かに比較的早期に現れるはずで、理屈の上では記憶を徐々に失っていってその後新たな記憶が生まれるということが起こっているはずであり、その場合記憶による自己認識の共有は起こらないとしても自分の代わりに意識、自我を持つ存在が誕生することになり、記憶は永遠に失われても、生きている者にとって認識できないだけで死後は無ではないということになるのではないかと思います。

大変長い質問になってしまい申し訳ありません。
唯物論的な物理学の観点からこの意見についてどう思うかお答えいただけたら幸いです。

補足また、物理学上あるいは単純な確率論としてどれほどの試行回数があれば偶然同じ脳ができるのかまたは無限に近い試行回数があっても理論上の限界があるのかについても、もし詳しい方がおられましたら大まかにで構いませんので教えていただけたらありがたいです。
それと、もし意識とは脳の作り出す幻や錯覚ではじめから存在していないと仮定した場合、多元宇宙論等における別宇宙の脳との意識(という幻想)の連続性を保つことが可能であるか、それとも概念や空想上のものであったとしてもこの宇宙の物理法則に縛られるのか、また、次元の違いやこの宇宙の一部法則、例えば時間などが存在しない次元等においても起こりうるのか、についても考察していただけましたら幸いです。

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war********さん

2019/5/2609:07:17

おはようございますっ

私も、(途中までかな?)質問者様とまったく同じ考えに至ったものの一人です。
ポイントは唯物論的に考えることですよね。
宗教やオカルトではなく、唯物論(物理主義)ですから。
実験こそ不可能ですが、、科学のルールに則って論理的に考えます。
そうすると、唯物論を支持する限りにおいては、そういう結論を受け入れざるを得ないはず、、となるはず、なんですけど、
ほとんどの唯物論者にも、反対されますね。。
反対というより、質問の意図を理解されない方が多い印象です。

その結論とは、《私》の死後であっても、《私》の意識や記憶は再び生じえる可能性がある。という意見です。
死は、永遠の無だとは決まっていない。どちらかと言えば永遠の眠りであり、《私》を構成するための物理条件が再びそろったとき、私は再び《私》として生じる。はずである。
これは、唯物論的に考えても筋が通っていると感じます。
ただしこれが確率的にも成立するためには、宇宙に無限の空間と時間が必要ではないかと想像します。宇宙が有限だったり閉じていたら無理かもしれないと。

また、主観的な意識の観点からは、意識の途切れた睡眠と死は同質と言えます。私もそう思います。
まずはここらまでを、唯物論者に受け入れてもらうことが最初の難関です。




しかし、次の段階で、問題が生じませんか?
スワンプマンの話ですっ。

長くなるので要点のみ先に書きますと、
オリジナルの《私》(仮にAとする)を生かしたまま、
スワンプマン(仮にBとする)が生じるケースを考えます。

ポイントは、
① 客観的な第三者視点において、
・私AとスワンプマンBは、物理的には、身体も心も同一となります。
客観的にはAとBに物理的差異はないです。私Aの記憶も経験もすべてBに継承されています。
このことから言えることは、唯物論のみによって、人間の身体も精神までもが造り得るということ。

しかし、
② 私Aの主観的な視点においては、
《私》であるAの目を通して見た場合、Bは”他人”となりませんか?
記憶が同じとか、物理構造が同じかどうかなんて関係ないのです。
《私》がAであった時、必然的に、Bは《私》ではない存在(他人)になります。
直観的に言って、Bがオリジナルの《私》そのものであることは決して無いように感じられます。
このことから言えることは、
物理的に自分と同一の個体を生じ得ても、その個体が《私》そのものとはなり得ないということ。
つまり質問者様が最初に挙げられているような唯物論的な生まれ変わりは不可能であると。
少し補足すると、スワンプマンBには、《私》に関する身体の構造から脳内の情報まですべてが継承されている(唯物論でコピーできる要素)にもかかわらず、主観的な《私》の意識がAの身体からBへ、複製あるいは転移するということはない。(これが唯物論では創造も複製もできない要素であると。)



唯物論は現象を第三者の視点からでしか見ていない、、、
故に、未だ扱えない解けない問題が存在する。意識の難問などがまさに好例。
唯物論が未だ不完全な論でしかない可能性も含めて、
この問題はまだ説かれていないと私は考えるのですが…

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質問した人からのコメント

2019/5/28 11:16:10

ご回答ありがとうございます。

唯物論に置いても説明できないことが多く存在し、主に意識について等のいくつかの前提条件の上にしか成り立たない理論であることを気づかせていただきましたこの回答をベストアンサーとさせていただきます。

他の皆様のご回答もそれぞれ違う視点からの興味深いものばかりで、、ベストアンサーに値するとても素晴らしいものであると感じております。誠にありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

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jjj********さん

2019/5/2800:50:11

私は真相真理学者ですが、お答え致します。人間が死んだらどうなるか?この問題に付いては意識は無になり死後の世界等は一切ありません。この世界では死ぬと全てが終わりとなります。火葬して骨となりお墓に入ります。人間には意識がありそれ以上のものはありません。ホーキング博士は妄想を研究していたに過ぎません。実は宇宙とは虚像の空間であり実在しないからです。人間が作り出した産物なのです。これらの話はにわかに信じられないでしょうが実は真実です。

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mad********さん

2019/5/2609:10:20

意識をコピーする技術があれば、意識は不死ですね。
とするには、無数のつっこみどころがあると思うが、
まあ、どんどん意識をコピーしていき、コピーされたほうを元の意識の継続と認めるのならば確かに意識は死なないよね。
でもそれは「ずっと続く意識」を「現世で技術的に可能にできたかどうか」の話で、死後の世界じゃないよね。その技術は死後の世界ではなく、生の継続でしかない。
また、そんな技術は今のところない。
「肉体完全再生薬」を飲み続ければ不老不死だよね。とか「ワープ航法」なら光速を越えられるぞ、とか
ぼくは人を殺したけれど、もしもボックスの世界では、人を殺していないぼくもいるんだ、といったような、
存在しないものを存在すると仮定した上で、想像上の思考実験の話。

人間ってね、自分のDNAをばらまいていくわけで。
「個」にこだわらなければ不死だよね。
どんどんさかのぼれば、大昔の数百人の遺伝子がいまの七十億に拡散したわけでしょ。
「無限拡散生命体」
なんだから。
死んでも、自分のそっくりさんなんて、どっかに生まれますよ。
別に生きている最中だって、自分のそっくりさん、どっかにいるでしょ。
兄弟、姉妹、親戚、従兄弟、あるいは全く無関係だけど似ている人。
DNA的には日本人ってだけで大部分共通しているわけだし。
記憶は伝達できないけれどね、文化は伝達できる。
空想したこと、考えたこと、体験したこと、発見したこと、苦悩したこと、きつかったこと、
全部文化を媒体にして情報を次世代に残していける。
親が教育もできるし、話もしてあげる。
自分の輪廻転生した姿って、要するに、自分の子供でしょ。
自分の特徴引き継いで、この世に生まれてくるんだから。
あるいは、自分の子供より自分に近い遺伝子の子もどっかにでるかもしれないし。
そう思うとね、死後の世界だの、魂の永遠だの、そんな超自然的なものを持ち出して、パラレルワールドやら、
不可知の別宇宙だのもちださんでも、
私たちは、全員が、過去を生きた人間の生まれ代わりだし、
太古から現在まで、継続中のコピー体の連続の一部分でしかないし。

今現在もどんどん「コピー」(新生児がうまれて)て、記憶が継承(伝えるべき記憶が教育を媒介にして伝達)され続けている。
そういうシステムで生きていると思いますよ。
今ここにいる自分だけが特別な個であるという発想さえしなければ、私たちには死後の世界は、必要なく、私たちはもうすでに半ば不死なんです。

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wak********さん

2019/5/2608:48:33

死後について、説明します。

死とは何でしょうか。死んだ後私は何かを感じるのでしょうか。
その為には、私は誰なのか考えなくてはなりません。大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。

では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。

そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。

赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。

では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。

この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。

私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。

例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。

テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。

もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。

同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。

この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。

ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。

科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。

私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。

死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。
「不生不滅不垢不浄不増不減」です。

質問者さん、この様に脳が死ぬと精神である私に刺激を送るものが無くなるので、私は何も感じません。新しい脳がまた私に刺激を送る様になると、私はまた元のとおり感じる様になるでしょう。
死んだら、気が付くと母の胸に抱かれていることに気が付きます。誰しもそうです。ですから、死んだ人にもまた次の生或はその次の生で出会えると考えます。

詳細は、下記のホームページを参照下さい。
http://catbirdtt.web.fc2.com/sitohananika.html

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qqq********さん

2019/5/2608:29:56

私は祖母の代から天理教の環境で育ったので、一切唯物論的な思考をした事がありません。
殆ど全て宗教的、神的な思考をして来た気がします。
それであなたのお考えにお答えは出来ないのですが、死後に近い物ではテレビで見たものがあります。
臨死体験でです。
ある人が臨死体験でベットの上から自分を見下ろしていたのですけれど,家族が死んだと思って自分に対して泣いているのを上から見ていたのです。
それでフト廊下に出たら母親が電話で誰かに亡くなった事を連絡してました。
フト思っただけで廊下に出たので,それでその人が子供の頃不思議に思った場所にも行けるのかと思ったのです。

そうすると山間の場所に来ていて,そうすると向こうから誰か子供が遣って来ました。
それを見ていて上を見たら,何と大きな岩のような物が転げて来たので,ビックリして「危ない」と叫んだそうです。
すると下を歩いていた子がビックリして,気が付いて避けたのです。

それで始めて過去に不思議に思っていた事が分かったという事でした。
即ち子供の頃山間を歩いていたら,突然「危ない」という声が聞こえて,上を見たら岩のような物が転がって来たので,ビックリして避けたという事だったのです。
この声がどうして聞こえたが謎だった訳です。
このようにして結局自分の魂が自分を見ている世界でもあります。

それから次もテレビでしていたのですが、アメリカだったか国はうろ覚えですが、そこの脳科学者が出て来て、その人は絶対臨死体験は単なる脳の仕組みから来ていて、霊界とのような事で起こってはいないと考えていました。
即ち霊界も当然否定していた訳です。

ところがその人自身が重い病気に罹って、臨死体験に遭うのです。
そは美しい花々のあるような所だったような、それらの過程は余り覚えていないのですが、空間に浮いて動いて行っているようになっていたようです。
そうすると向こうから女性も同じように浮いてこちらに向かって来て、そして通りすがりに挨拶して来たそうです。
見た事もない人だったのです。

それから一時死んだとみなされた事から回復した訳です。
その後自分に姉がいる事が分かって、その事実自体は知らなかったのですが、そして写真を見る状況になって見て、それが何とあの臨死体験ですれ違った女性だったのだと言うのです。
それでその人は霊魂や霊界が本当にあると信じて、それからこの真実を脳科学者の体験談として伝える立場になってます。

なお私は信じているのですが、通常人では到底知る事も出来ないのですが,世の中には霊界も見えるという人が居るのです。
その一人が隈本確氏で、大霊界という本を書いてます。

この本には,具体的に神の存在,人間の魂,心,体との関係を通して書いてあります。
そして人間が死ぬと,本当の生命の初まる霊界に行くそうです。
今の世界は卵の中のような物で,霊界こそ本当の世界という訳です。

そして生まれ変わりはないという事で,隈本確氏はあらゆる霊界を見ることも行く事も出来ると仰っていて,そうして生まれ変わる状況は一度も見た事がないと言っています。
人間の真実の生命は霊界にこそあって,今生きている時は肉体として生きていますが,誕生した時に魂の誕生でもあって,そして肉体の中で心を通して魂が成長して,それから本来生き続ける霊界に行くそうです。

それで霊界での生活は数千万年から,億年の生命活動があると言っています。
数千万年とか億年に生きている魂は宇宙人のだそうです。
人では未だ精々100万年が限度です。
今生きている時が試しの世界で,ここで育まれた心の使い方で霊界での住処が決まり,厳然と天国も地獄も存在していると言っています。
あくまでも信じる世界になってしまいますが,見える人には現実に分かるだけと言う事にもなって,凡人は信じるより仕方がありません。

ところで私は多元宇宙という物は信じてません。
宇宙の空間は元からここにあっただけで、広がっているとも思えませんし、何処からか現れたという思いもありません。
それで別の空間宇宙の設定をする必要もない考えです。
こういう事で私が考えている宇宙で回答しているので参考に載せてみます。
なおページが見つけられませんという事で出るのがあるのですが、それは下と入れ替えて見て頂ければと思います。
https://en.wikipedia.org/wiki/File:V838_Monocerotis_expansion.jpg
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121860460...

ちなみに神が人間を創ったと,色々な宗教も人の口を借りて述べて来ました。
特に天理教の神が降臨して述べたのは,人間を創り初めたのが約9億年も前で,最初虫けらのようなもので,それから段々と見守って進化を与え続け,今の人間にしたと言いました。
人間を創った目的は、神と一緒に陽気暮らしをする事だと言ってます。
これは明治になる20年も前の話で,片田舎の農家の女性に神が降臨して語らせました。

なお私はブラックホールを否定しているのですが、この頃この本体が写し出されたニュースが流れました。
これは解釈の問題と思います。

誰でも目に行くのは、銀河の中央部分は明るく大きく膨れ上がってます。
しかし銀河の中心に普通にブラックホールがあるとされてます。
これは光さえ抜け出せない超重力だと言われているので、中央が大きく光で膨れ上がっているのは想像を超えてます。
ここがドーナツの穴のように暗くなっている方が気に合ってます。
しかし現状は全く想像を超えたものです。

こういう銀河の姿ですが、今回ブラックホールが直接観測されたと言われて写真も公開されました。
これは光さえ抜け出せない空間の引き込みとされているで、目で見えません。
黒い穴のドーナツの中のような物の想像でした。
しかし現実にこのような物が確認出来てませんでした。
周りにある光などで遮られていたのです。
上から見ても見えませんでした。
これは余りにも重力が強過ぎて、空間を引き込んで小さくなり過ぎていて見えなかったと思います。
しかし今回これが直接観測されたというのです。

但しこれが果たして狙っていたブラックホールそのものであるのかは、考え方の問題があるのですが、私は違っている見方をしてます。
ブラックホールを直接撮影としてますが、単に何もない空間だけの可能性もあるのではないかと思える事です。

さてブラックホールが見えない状態なのが、周りの光に囲まれた黒の部分が、ブラックホールを撮ったものと言う事です。
ところが光を出さないのは、そこに物質がないので光る物も存在してない可能性もあります。

銀河が回転してますが、例えば台風などは回転が外に伝わって行くのには,周りに十分な雲の群れがあります。
そして中心は寧ろ穴が空いてます。
上の惑星の公転で出したのと同じになります。
それで銀河の中心に超重力のブラックホールがあるのでは、可笑しいです。
回転が外の方に伝わって行かないのではないかという事です。
即ち全てがブラックホールの方に引かれて行くだけになりそうです。
回転が外にまで同じような速さで伝わる為には、台風の例のように全体に重さが均等になるようになって、そして中心では穴になるように、この部分が軽くなる状態でなければならない事になります。
それで中心にブラックホールがあっては困る状況です。
これは今回明らかに見えたとしても、空洞である可能性が見えているかもしれないという事です。

さて科学では銀河が出来上がったのは周りの物質が集まった事が原因です。
これですが、太陽が外の恒星と一緒に銀河の中心を軸として回っている即ち公転をしているのですが、果たしてこれで黙っていても公転出来ていられるでしょうか。
物質が色々な方向から集まって来て銀河が出来る関係を考えると、来る力はベクトルという事では、どこかに一方方向に回す力が働くでしょうか?
ピッチャーが球を投げる時に、指で球に意識的に回転を与える事で回転になります。
銀河全体にこれを回すような意識でも働いたのでしょうか?
いずれにしても全体、しかも上も下も右も左からも何処からも来る大量の物質の群れです。
これでは全体が団子にでもなるようなものです。
平らになる事さえ考えられないかもしれません。

水道の水を洗面上の穴を塞いで一杯に入れて、それからその穴を開けると水がそこに落ちて行きます。
これも上で惑星の公転でも例に出したものです。
穴はブラックホールに見立てられます。
水が少なくなって行った時に水の渦が起きます。
未だ水がタップリの時は上で渦が起きてません。
穴に近くなって行って、始めて渦になって行く事に似て、周りにある物質があっても、近くにあって回転が起こるようなものです。
遠くになるほど、単に物が浮いているような状態です。
遠くにある物がブラックホールに引き付けられて来て、近くに来てようやく回り始めます。
しかしその水もその穴に落ちて行きます。
科学では周りの物質が集まって銀河になっているとしてますが、この例を考えると遠くからもブラックホールが引っ張って来るだけで、とても銀河が回転(公転)になるように思えません。
このようにして銀河自体の成り立ちも怪しいのです。

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jeh********さん

2019/5/2607:24:23

しっかりした文章で、考察が作り込まれていて、読み応えがあります。それだけに、トンデモであるのが、残念です。

書かれている分量が多いので、短く済むところだけ。

>量子重力論と意識の関係についてですが、超弦理論において重力のみは別の次元に干渉しているという仮説から、意識はその次元に存在し脳はその次元と重力で交信している送受信や記憶装置を担当する器官という説についての内容と見てよろしいのでしょうか?

このようなトンデモを考えている人はいるのだろうか。
物理学者が、意識について量子重力を取り上げるのは、以下の通り。
量子論が示してしまった非決定性により、意識を司るであろう物質スケールで、「意思なるものの恣意性」を仄めかしてしまった。この恣意性をもっと微細な物理学の更なる究極理論で打開できないか。つまり、「皇帝の新しい心」が書かれた時点では、超紐理論が取り上げられ議論された。でも究極理論が超紐理論に落ち着くなんて誰もわかりません。「意思なるものの恣意性」の解明に、物理学の究極理論に希望を抱いても、究極理論がいつ完成するのかわからない。そもそも理論適用スケールが微細すぎて、人レベルでは相互作用が意識レベルまで昇華されるとは思えません。QCDレベルであっても「あなた意識は脳細胞にあるクォークの作用により〜を知覚し、判断しました」なんてトンデモでしょう?物質の特性を研究する物性論(統計物理学)ではQCDの効果は全く検討に入れません。魂や霊を司る物質は、標準理論で考えられる素粒子には、見つかっていません。つまり、魂や霊を司る何かは、更に微細な構造体か、逆に原子・分子スケール以上でしょう。遺伝情報に意識や記憶が入り込むか、今の分子生物学では入っていないとなっていますよね。とすると、魂は生物スケールの構造体に所産と考えるのは、常識的です。生物スケールの構造体だと、主体たる生物が死ぬと、分解されます。その時点で、魂や記憶の継続はなくなります。

専門に物理をやっていない人は多世界解釈が好きですけど、この多世界解釈は量子論の確率解釈としては異端ですよ。別の次元という「次元」って言葉は、単に軸です。魂が通りえるような空間のようなものではありません。統計物理学は6Nであったり、6.02×10^23次元を扱ったりします。同じく、そこに魂がはいる余地はありません。共形も魅惑的な言葉かもしれませんが、Conformal(共形変換に対して作用が不変な)という意味です。

大いなる意思があるとすると、現在の物理学でいうとエントロピー(情報量)と変分原理です。この2つの"意思"に則り、あらゆる魂、生命、物質が作用しあって存在しています。人は死ぬと、エントロピー(情報量)と変分原理に従い、腐って、元素レベルで他の何かになるだけです。人を構成する元素は、過去の超新星爆発により形成されました。魂なる何かがあるとすると、元素の素なる超新星爆発も何かの意思、それだけでなく噴火などの自然現象も、大いなる意思によると言えますね。

しっかりとした思考される方だとお見受けします。通俗書ではなく、「量子力学」って本を読んでみてください。

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