一部の例外的な王朝・国家をのぞけば
1つの国家体制で治める事ができる国土には
限界があるからではないでしょうか?
少なくとも移動手段の最速が
「馬」であった時代には
国家の中枢地域から
遠く離れた地域を
中枢の政策通りに制御する事は
基本的には無理があったと考えられます。
そこで中国が考えたのが
「属国」という制度です。
つまり周辺国に対して
中国はその軍事力を背景にして
属国化を要求し
それを受け入れた国家体制には
中国がその国の自治権を承認・保証し
属国は中国の軍事力を背景に
(中国以外の)隣国に対して
優位な状況を得られるメリットを与える
というやり方です。
またこの制度の中では
属国同志が争う事ができない事で
少なくとも属国である隣国同士では
紛争・戦争が起こりにくい事になり
その分、各属国は国内統治に専念できるので
安定した国政が維持できる事になります。
中国は無理に自分で
国境線を拡大して
自国制度を広める事よりは
周辺属国の頂点に君臨する事で
結果的には安定した疑似中華帝国制度を
他国の政治家に任せる形で維持できた訳です。
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一方、日本に関しては
属国化が出来ませんでした。
理由は簡単です。
日本が島国だったからです。
中国を含む大陸での戦闘は
陸戦部隊が主力でした。
周辺の全ての国家が
徒歩でも軍隊の移動が可能だった地域では
どうしても陸戦部隊が軍事の中心になり
海軍・水軍はその補助的な役に
留まる傾向がありました。
また、仮に海洋兵力をどれほど強化しても
日本海という天然の「堀」を制する事は
現代の海軍力でも困難であり
当然、人力と風力に頼っていた時代の海軍兵装では
まず日本を軍事的に制する戦力を
日本に送り込み
そして、何よりその兵力を
維持できる補給線を安定的に確保する事は
まず不可能だったという事だったのが
日本が中国の軍事力による属国化を
避ける事が出来た唯一にして
最大の理由だったと考えられます。
実際に現在でも
中国やロシアにとって
太平洋に出る為の航路としての日本海は
決して簡単に制海権を得る事ができる
海域でない事が冷戦中に
ソ連が日本に侵攻できなかった
軍事地政学的な理由でもあったのですからねぇ。
原子力艦船の時代でもまだ
日本海という軍事防壁は、
その有効性を失っていないと言えるのです。