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かつて日本銀行で行われてた「窓口指導」について質問があります。

kar********さん

2019/6/1221:04:42

かつて日本銀行で行われてた「窓口指導」について質問があります。

翁邦雄『ポスト・マネタリズムの金融政策』の記述によると
「当初の窓口指導は、取引先銀行に対する資金繰り指導、とくに貸出増加を預金増加の範囲内に収めることを重視したものであり、このような指導が行われるようになったのは、日本銀行営業局に資金係が設置されてから、とされている(注8)」(ここで注8は『日本銀行百年史』第五巻が参考文献)(P.71)

という記述がありました。信用創造において、貸出金と預金が同時に増えるのに、「貸出増加を預金増加の範囲内に収めることを重視したもの」という理屈が良く分かりません。多分ですけど、これは当時のインターバンク市場が未発達だったのが要因かな?と予想したのですが、どうでしょうか? 教えて下さいませ。

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ric********さん

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2019/6/1308:08:48

時間がないので手短に。

引用されている本は読んでいないので
はっきりしたことはわかりかねますが、

もともと銀行が融資によって増やした預金通貨は
そのままその銀行にとどまっているわけでは
ありません。特に70年代ぐらいまでは
給料がまだ給料袋で現金手渡しというところが
多かったので、
支給された給料がどの銀行に預金されるかで
銀行の融資枠を決めることには大いに
意味がありました。今みたいにクレジットカードが
あったわけでもなく、小切手も日本では一般家計には
解放されていなかったので現金が重要だった。
というわけで、非金融部門の現金預金比率が大きくなると
銀行の融資行動に大きなインパクトがあった。
だから預金獲得競争が
激しかった。
(逆に言えば、預金がその銀行の中にとどまり続ける限り
いくらでも増やせたわけです。)


また当時はまだ日本でも普通銀行と
長期銀行との垣根はそれなりにはっきりしていて、
長期銀行は債券投資が中心で
預金融資は行っていなかった(他の銀行の
預金口座を融資実行時の入金口座としていた)ので
信用創造による融資は、建前上、
行なわれていなかったことになっていたと思います。
(だからオーバーバロウィングみたいな
話しになった。)

けどまあ、激しいインフレの中で
融資を制限すれば借り手が困るだけですから
貨幣供給量の制限という意味では
あんまり効果なかったみたいですけどね。
もともと原理的に銀行の営利活動を
前提として信用創造による貨幣供給を行う
システムとは、両立しないやり方だったんですよね。

  • ric********さん

    2019/6/1308:11:36

    寝不足でぼけたこと書いてしまった。

    銀行の融資枠、というより
    銀行の融資の上限、ということ

    信用創造が行われていないという建前、
    というのは、設備投資などの
    長期資金を融資する場合の話で
    運転資金を供給する普通銀行のことではないです。
    普通銀行では、当然、信用創造による
    融資が行われていました。

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