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写真で芸術を目指すのはかなり難しいのではないでしょうか。既に誰かがやってしま...

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ID非公開さん

2019/6/1413:20:25

写真で芸術を目指すのはかなり難しいのではないでしょうか。既に誰かがやってしまったことを追い掛けても芸術であれば意味がないですよね。

.
ゼラチンシルバープリントの美しさはそれは単なる工芸品でしょう。そんなものを芸術と言われたら本物の芸術家の存在意義がありません。

ちなみにシャルル・ボードレールが写真は愚民が崇める似非芸術と発言しています。印刷術が文学の召使であるように写真は科学の下女に過ぎないと。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2019/6/1415:17:25

>写真で芸術を目指すのはかなり難しいのではないでしょうか。

とおっしゃる前に、神様の思し召しによって人類がこの世に登場したとき、おそらく人類が生活するための環境(現実)世界と言葉をも同時にたまわったであろうことに思いを馳せてみませんか。

すると、人類は、真っ先に環境世界を利用、活用していくために言葉を介して環境世界に働きかけたはず、そう、言葉で環境世界を認識したはずで、このことこそ人類最初の芸術活動、環境世界に対する命名だったと考えられます。

「写真」についても、写真に関し、世間で幅を利かせている通説、俗説に囚われずに考える限り、19世紀後半に「写真」術が発明されて以降、人々は、最初の人類が生きるために言葉を介して環境世界を命名(表現、認識)したのと同様、やはり生きるために環境(現実)世界をカメラを介して命名(表現、認識)してきた点で、「写真も立派な芸術である」と言うしかありません。

以上のことを、ボクは、ほかでもなくボードレールから教えられました。

>シャルル・ボードレールは写真は愚民が崇める似非芸術と発言しています。

ボードレールの一ファンとしては、彼が「写真は愚民が崇める似非芸術」と批判したのも、20世紀になって映画が登場したとき、「演劇よりも映画の方が写実的だ!」という妄言を吐いた「愚民」が批判されざるを得なかったのと、その事情は全く同じだと言わざるを得ません。

思うに、「写真」にしろ、「映画」にしろ、本当の芸術とは無縁な「愚民」に崇拝されやすいからという理由で、「これは芸術でない!」と断ずるとしたら、こういう考えをこそ、ボードレールは最も痛烈に批判するのではないでしょうか。

  • 2019/6/1422:30:42

    他の回答者さん、それぞれに芸術に関する一家言をお持ちなのに、不思議なまでに芸術の起源、成因やそれと人間の現実生活との接点や芸術の価値・意義の拠り所等については、さほど興味、関心をお持ちでないというのが、ボクには不思議でなりません。

    その点、質問者さんはいかが思われますか?

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質問した人からのコメント

2019/6/20 21:01:14

ボードレールが写真を芸術にあらずと言った理由は、そこに彼の定義する芸術の要件がなかったからです。大衆は芸術が何であるかを知らず、何となく絵画的だなどの理由で写真を絵画と同列に捉えようとしました。世の中の自称写真芸術家たちも同じです。芸術が何であるかを理解せず、他の写真家が手がけた手垢の付いた手法を崇めて模倣するような人たちばかりです。

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sya********さん

2019/6/1811:05:45

写真は発明されて200年間くらいですからね。
絵画とか彫刻と比較しても歴史が短いという経緯はあると思います
そして絵画にしても芸術性が高くなったのは作者が死んで数百年間もが経過してから美術評論家らによって評価が高くなったという事も決して珍しくはないという事です。
という事を考えると写真も、その作品なり作家を、それなりに高く評価する論評などが多いという事になります。
つまり評論家たちが高く評価したら芸術性が高くなるという事だと思いますよ。
これが良い事なのか悪い事なのかは分りませんが、評論家が評価したから有名になれたのだとか高く社会から評価される様になったのだ、という側面はあったという事だと思いますよ。
でも昔肖像画などが描かれた時期は、それを芸術作品とは意識されなかったと思いますよ。
単なる権威の位置づけとか記録という事だったと思います。
でも、今では全ての作品が美術作品として認められて芸術的な価値として解釈されいます。
また絵画でもイラスト作品などは芸術的には低いともされていますよね。
でも最近は、それらの作品も芸術作品として高く評価しょうという動きがあるとは思いますよ。
ですから写真はキャンディトフォトが、もっとも写真的だとは思います。
それが結局は現代の目撃者という事にもなっているのだと思います。
でもサロン写真の様な写真だって結構苦労されて撮影されている作品も多いと思います。
その1枚を撮影する為に何時間も待ったとか人10日も通い続けたという事もありますよね。
そうしたら、やはり苦労して撮影しているという事ですからね。
決して写真は簡単に撮影出来てしまうという事ばかりでは無いとう面もありますよね。
つまり貴方の芸術の概念が少し幅が狭いとかな、とは思いますがね。
芸術の定義なんて、そんなに狭いものではなく、またハッキリした定義なんて無いのだと思いますよ。

jya********さん

2019/6/1722:33:14

photog_6666さんですか?

hek********さん

2019/6/1523:11:55

人間国宝の写真家が出れば

すんなり写真は芸術になるかも知れん?

chi********さん

2019/6/1513:57:30

芸術というのは、写真とか油絵とか、手法でどうこう言うモノではないっす。
その手法で表現されるモノがポイントなんではないでしょか。(笑)

ちなみに、
見たくない・気がつきたくない・認めたくない・許したくない等、自分にとって忌み嫌いたくなる領域から逃げ回って、自分の本質から目を逸らして他人の罵倒ばかりしてる自称神様が語る芸術論は底が浅いっすね。(笑)

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kam********さん

編集あり2019/6/1501:22:44

真にオリジナルを追求するという事は自分自身を追求すると言う事です。
唯一わかる自分自身の心を深く深くより深く追求する心に張り付いている目隠しを剥がしながら。
見たくない・気が付きたくない・認めたくない・許したくない等自分とって忌み嫌いたくなる領域にふれても尚それに目を向け更に心を深く深くより深く追及する心に張り付いている目隠しを剥がしながら。
自分がわからなくなっても尚心を深く深く深く追及する心に張り付いている目隠しを剥がしながら。
何も無い、いくら探しても何も無い。その心の領域まで追及しても尚心を深く深くより深く追及する心に張り付いている目隠しを剥がしながら。
心が崩壊し精神が病む事なく、他人様の評価に逃げず、尚心を深く深くより深く追及する心に張り付いている目隠しを剥がしながら。
それをひたすらし続ける
死が訪れるその時まで
そうすれば真にオリジナルな作品が作れるでしょう。
そうしてきた人生こそが芸術です
その意味において芸術を極めた作家はほとんど居ないと言って過言ではないでしょうね

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