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もともと古来から日本にあった 神祇信仰なるものが 仏教の影響で今のような神道...

guranito_regendaさん

2019/6/2518:35:33

もともと古来から日本にあった
神祇信仰なるものが
仏教の影響で今のような神道へとなったのですか?

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man********さん

2019/6/2602:09:26

端的に言えばそうです。

微妙に違う点も多々あります

>古来から日本にあった

と言うよりも、その土地に住む人たち(同一氏族が多い)の信仰の集合体が神道です
統一もされていない、土着の多数の信仰を纏めて「神道」と呼んでいるのに過ぎず、スタンダードがありません

帰化人も多く朝鮮半島や大陸から来た人々の信仰も含んでます。
古事記や日本書紀のベースは、帰化人の豪族たちの神話伝承です。

初期の神社の内、伊勢神宮を除く、石上神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社は、いずれも騎馬民族:扶余(ふよ)からやってきて帰化した物部氏の創建です
扶余とは鹿のことで、鹿をトーテムとする民族です

その為、鹿島神宮・香取神宮と分社の春日大社は、鹿を神獣として重視するわけです


日本に入ってきた仏教は、中国文化の影響を受けて大きく変質した仏教です
死者の供養や盆の概念は、道教の思想であり、先祖を敬うという思考は儒教です

また密教は、元々バラモン教であったものが仏教化されて山岳仏教と呼ばれており、密教独特の天部が多々。
しかも最高神は、メソポタミアから伝わった大日如来(ミトラ神、阿修羅)であり、釈迦より上だとします
日本では、更に日本独自の山岳信仰である修験と習合して、独自の密教となってます

仏教本体も密教も、拝火教(ゾロアスター教)の影響を強く受けてます。


神道は、仏教の影響を強く受けており、仏教を真似たり、仏教に触発されてオブジェクトや流儀を造ってます

神社は仏寺を真似て建立され初めたもので、仏教伝来以前の神社は見つかってません。
それまでの神道は、祭壇や祠であったと考えられてます

仏教と一緒に入ってきた中国の狛犬を神社も採用しており、仏寺のお堂には鈴や鰐口がありますが、神社はそれを真似て、本坪鈴を拝殿に取り付けてます
仏教ではその後鰐口が多くなりましたが、一部には鈴が残ってます
灯籠や護摩も仏教のマネで、元々は拝火教(ゾロアスター教)由来です。

仏寺の仁王門を真似て、神社には随神門を作り、お経に当たるものとして祝詞を造りました

尚、穢(けがれ)の概念は、近年、元々キリスト教の概念であるとする学者が増えてます



律令時代から白川伯王家が、神祇官の長官である神祇伯(じんぎはく)となり神道の頂点にありました

室町末期に吉田兼倶が、吉田神道を創始し、以後朝廷や室町幕府の信任を得て、白川伯王家を押しのけて、神職の任免権を得ており、全国的に多くの神社・神職をその勢力下に収め幕末まで続いてます

吉田神道は、仏教を「花実」、儒教を「枝葉」、神道を「根」とするのが特徴で、儒教、仏教のほか、道教、陰陽道(おんみょうどう)を混用し、整合矛盾を詭弁で巧妙に胡麻化す神道でした

吉田山に伊勢の御神体が舞い降りたと称していた事で、伊勢神宮の神官たちの怒りを買い、1698~1712年ごろに吉田家・吉田神道の嘘を暴く「神敵吉田兼倶謀計記」を書き上げており、江戸時代にも吉田神道の信憑性・信頼性に疑問が持たれ大論争が起きてます

明治維新後、地位が逆転し、白川伯王家が天皇家の神道(白川神道、伯家神道)を担ってました。
戦後は、白川資長が、神社本庁参与を務めてましたが、1959年(昭和34年)断絶してます。

ベストアンサー以外の回答

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2019/6/2609:53:39

>今のような神道

宗教法人法では、特に「神道」の定めはありません。「宗教法人」として法律で認められているだけであり、第十二条により〇〇神社という名称を申請して受理されているだけのものです。また、民間団体の神社本庁の活動により「神道」という言葉が広まっている程度のものと思われます。

>古来から日本にあった神祇信仰

日本にあった古来からの信仰は多様性がありましたが、(一部の学者にような人たちを除き)一般の住民たちは特に「神道」という言葉は使っていなかったと思います。

その古来から日本にあった様々な民間習俗は明治政府により廃止に追い込まれています。例えば、六十六部廻国巡礼や普化宗(虚無僧)、修験道、御師、修梓巫女、憑祈祷、狐下と昌る玉占、口寄せなどは怪しげな信仰ということで禁止されています。

明治39年には、政府による国家神道の推進のために「神社合祀令」が発布され、氏神社など田舎の小規模な神社(小さな祠程度のもの)がことごとく強制的に廃止されて、国家が管理する大きな(巨大な)神社に統合されてしまいます。

戦前までは国家の指導のもとで繁栄した国家神道も敗戦によりGHQから締め付けられてしまい、復活までは時間を要してしまいました。

>仏教の影響

仏教の影響というよりは、神道は歴史の変革、権力者の思惑などにより、徐々に姿や形を変えさせられていったのだと考えられます。

mon********さん

2019/6/2608:29:14

倭国がもともとの神道の基盤であって、宗教ではなく国です。
倭国なので、倭国語が古い神道の言葉です。
縄文、アイヌ系統の言葉に神道が出ません。
漢語にも神道が出ません。

倭国語、ヤマト言葉にだけそれがあります。
土着ではなく、縄文から弥生の変化が古来の神道伝播です。
漢語の到来は仏教とリンクします。

つまり神道はBC1000年に日本にやってきて出雲中心に倭国をなしました。
縄文には言葉も概念もないので、真似をするのは無理です。ゆえに縄文が消えて倭国へと変わっていきます。

古来神道は、漢語で表現してはいけません。漢語で表記されるものは、誰かが勝手に漢語を当てはめて再解釈したものです。かなり間違っています。

三種の神器は古来神道によるものです。これを漢語の人が譲られたのですが、漢語の人は譲られたことに納得していません。天皇とは唯一無二の支配者でなければならないからです。

これで天皇家による新しい神道が作られました。漢語で表現されるものはここが起源です。そして全ては天皇家を祀る仕様になっています。ベースは儒教です。

ですが当時の日本はグローバル社会ではないので、ふたつの神道が混在するようになりました。
これが現在あやふやな神道の形になっています。

古来の神道では、漢語は使いません。

oji********さん

2019/6/2607:14:58

仏教の影響もありましたが、その仏教部分を明治の神仏分離で、修正して、もとも戻したことになっていますが、類似部分も残っているという意見もあります。

寿限無さん

2019/6/2606:51:57

『聖徳太子が仏教の影響を受けつつも、神祇祭拝の詔を発し古来の神々を篤く敬い続けた』他文明を受け入れながら、日本文明の本質は変化していないように思います。
武士道も仏教が武士道に与えることのできなかった、主君への忠誠、祖先の崇拝、親への孝行、を神道が満たしている。日本の本質は変わっていないと思います。

ohi********さん

2019/6/2520:01:39

そういうことです。

もともと,春の予祝を願う祈年祭と秋の豊作を祝う新嘗祭を中心とした農耕儀礼があり,これに様々な自然神崇拝や祖先神崇拝がありました。

6世紀になって海外から仏教が伝来すると,じゃ今までの信仰や崇拝はなんだということになり,仏教の対立概念として神祇信仰なる概念が明確にされました。これが神道です。

後に神道と仏教とが同一なものと見なされ,神仏習合が生まれました。日本古来の神々と外来の諸仏を同様なものとみなす考え方です。

以降,仏を主・神を従とする本地垂迹説と,神を主・仏を従とする反本地垂迹説(伊勢神道)も生まれましたが,基本的には明治になるまで日本は神仏習合です。

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