ここから本文です

ペロポネソス戦争やその後の時期に、アテネ、スパルタ、テーバイ(テーベ)などのギ...

rekisi_zukiさん

2019/6/2601:34:11

ペロポネソス戦争やその後の時期に、アテネ、スパルタ、テーバイ(テーベ)などのギリシア都市国家が覇権をめぐり争ったと聞きます。たしか、そのギリシア都市国家間の紛争に対し、ペルシア帝国が黒幕としていろんな都

市国家を操縦しながら弱体化を図っていた気がします…この認識は正しいでしょうか?よろしければ、ギリシア都市国家が内紛していた時期(ペロポネソス戦争以降コリントス同盟を経て、アレキサンドロス大王期まで)におけるペルシア帝国の対ギリシア外交について教えてください。

閲覧数:
35
回答数:
2
お礼:
250枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

nxo********さん

2019/6/2800:08:08

「夷を以て夷を制す」

これがペルシアのみならず、後のパルティアやビザンティンの基本路線です

ペルシア戦争ではペルシアにギリシャ本土を侵略する意図はありましたが

ペルシア戦争後はアナトリア半島西部にあるギリシャ植民市を制圧下に置けば
ギリシャ本土のポリス同士で争わせ、勢力を維持できれば良いと考えます

ギリシャのポリス同士の争いで劣勢な方に肩入れし、優勢になりすぎるポリスに対しては他のポリスを扇動するというような手法です

ペロポネソス戦争は勢力が優勢になり、高圧的になったアテネのデロス同盟に対しスパルタ、コリントスなどペロポネソス同盟が反発し戦いますが
陸戦で優位に立つペロポネソス同盟側も船の建造に金のかかるため、資金不足のスパルタには艦船を建造することは困難
そこでペルシアのプリギュア大守パルナバゾスがスパルタに資金援助し、スパルタが艦船を建造し、海軍を組織
ペロポネソス同盟側の勝利に貢献します

しかしスパルタが台頭すると
スパルタ史上、最も優秀な軍人王アゲシラオス2世が即位すると
アゲシラオスはアナトリア半島のギリシャ植民市解放の為、遠征
当地でペルシア側のカリア大守ティッサペルネス率いるペルシャ軍をダスキュレイオン、パクトロスなどで完膚なきまでに撃ち破りギリシャ植民市を解放
パルナバゾスが支配するアナトリア半島北西のプリギュアまで侵攻
ペルシア王キュロスを驚愕させます

キュロス王は帝国内の内紛で兄のアルトクセルクセスを討ったばかりで援軍をティッサペルネスへ送り、自らは国内の不穏な動きを抑えるのに精一杯でした

王は使者を遣わし、惨敗したティッサペルネスの首をはねてアゲシラオスを宥めようとしますが
アゲシラオスは更に帝国内部への侵攻を画策しているがわかったため

使者ティトラウステスをスパルタに敵対するテーベやアテネなどへ派遣、買収して扇動、スパルタに対し戦いを挑ませることに成功
特にペロポネソス同盟内でスパルタと双璧となっていたコリントスを裏切らせることができたのは大成功でした
(そもそも以前のペロポネソス戦争はコリントスの植民市に対するアテネの攻撃によりコリントスがスパルタに対アテネ戦争をするよう懇願したのが切っ掛け)

コリントス、アテネ、テーベなどの対スパルタ、コリントス同盟軍が蜂起したのを見たスパルタはアゲシラオスに帰国命令を発しますが
海上をアテネやペルシアに封鎖されたアゲシラオスは陸伝いにビザンティオンを経てマケドニア、テッサリアを通り、敵中突破でネメア、コロネア、コリントスとアゲシラオスはコリントス同盟軍を次々撃破し、南下していきますが

二王体制のスパルタのアゲシラオスが指揮しないスパルタ軍がアテネなどに敗退し、窮地となり
アゲシラオスが知らない間にスパルタ本国はアンタルキダスをペルシア側に派遣、ペルシア側の仲介により和約を結ぶことになります

ペルシア側の画策はマケドニアのアレクサンドロス大王の東征時にも行われ
この時はマケドニアが新たにギリシャ本土で組織されたコリントス同盟から除外されていたスパルタのアギス王に働き掛け
アレクサンドロスの後方でマケドニアに反旗を掲げさせたのです

アギス王率いるスパルタ軍はクレタまで勢力を伸ばしましたが
アレクサンドロスが留守を任せたアンティパトロスにより鎮圧されてしまいます

夷を以て夷を制す策も逆に自らの首を絞めてしまう両刃の刃で
パルティアもローマのクラックスの首を討ったサカ族の反乱により二人の国王を討たれていますし
ビザンティンもアヴァール族に対抗するため誘致したスラブ人により国土が浸食されてしまいました

夷を以て夷を制す策の最大の失敗は十字軍ということになりますね

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

zen********さん

2019/6/2610:07:37

日本史・世界史の元予備校講師です。

ペロポネソス戦争(前431~前404)は、アテネが盟主となり再度ペルシアの進攻
に備えた軍事同盟であるデロス同盟を足掛かりとしたアテネの勢力拡大とそれに抗するスパルタを中心とするペロポネソス同盟の二軸戦争という面があります。

細かい経緯は割愛しますが、二度の戦争であり最終的にアテネがスパルタに敗れて、ギリシア諸都市の覇権はスパルタになります。


スパルタはアテネと違い商業や交易で発展したポリスではないため、経済力が弱くギリシアの覇権は困難でした。
ペロポネソス戦争でスパルタに味方したテーバイでしたが、ペロポネソス戦争後は公然とスパルタの覇権に異を唱えて、再び戦争となります。

これがコリントス戦争とかコリント戦争(前395~前387)です。

スパルタを中心とするペロポネソス同盟 VS テーバイ、コリント、アテネ

の戦いです。
戦争は膠着状態となりました。
そこでスパルタは何とアケメネス朝ペルシア帝国に泣きつき、ペルシア帝国がギリシア世界の安全保障をするという内容の条約で講和しました。
これを『大王の和約』とか『アンタルキダスの和約』といいます。

何とか形式上はスパルタの覇権はペルシア帝国のおかげで守られたと言っても過言ではない結果になりました。

コリントス戦争の結果、テーバイは一時的にスパルタの覇権下に置かれますがやがて、テーバイの名将エバミノンダス将軍が出現、レウクトラの戦いでスパルタを中心とするペロポネソス同盟軍を粉砕します。

レウクトラの戦いはエバミノンダス将軍が斜線陣というファランクスの弱点をカバーする新戦術を編み出して、スパルタを粉砕したことでも有名です。

エバミノンダス将軍により一時テーバイの覇権が確立しましたが、エバミノンダス将軍の死後はテーバイの覇権も弱体化して、混乱時代がやってきます。

この混乱時代を収集させたのが、ギリシアの北方、バルカン半島南部にあったマケドニアのフィリッポス2世です。彼は幼い頃、人質としてテーバイのエバミノンダスの元にいたことがあり、斜線陣をはじめとする新戦術を身に着けたといわれています。



ということで、

・ペロポネソス戦争でスパルタの覇権成立

・テーバイが反抗してコリントス戦争勃発

・大王の和約(アンタルキダスの和約)で何とかスパルタの覇権維持

・テーバイにエバミノンダスが現れ、スパルタの覇権を崩壊させる

・エバミノンダスの死後、再び混乱するも北方のマケドニア強大化

・カイロネイアの戦いでギリシア諸都市はマケドニアに敗北。
マケドニアの下でギリシア世界は統一されていく


という流れになります。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる