ここから本文です

「俳諧の繋ぐ友情萩芒」 の俳句で「繋ぐ友情」はどうよみますか? 「萩芒」は 季...

mou********さん

2019/7/1223:07:28

「俳諧の繋ぐ友情萩芒」 の俳句で「繋ぐ友情」はどうよみますか?
「萩芒」は 季語ですか?

山田弘子

閲覧数:
20
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

rin********さん

編集あり2019/7/1308:18:43

つなぐ友情 です。

萩も芒も、それだけで季語になりますが、両方を使ったのは、
萩芒 来年逢ん さりながら
という正岡子規の句を本歌にしているからでしょう。

普通なら季語が2つ入っているのは良くない句となりますが、
子規の句は、萩や芒よ、来年も逢おう、というようにも読め、
また句を送った漱石に対し、来年も萩や芒の季節にまた逢おう、
という意味を込めた句です。

また逢おう、さりながら=でも…(病気なので自分はそれまで持ちそうもないけれど)という意味で、
萩と芒という秋らしい風情ある植物であり、寂しさを感じさせるものを並べているのが、句の寂しさになっていると思います。

質問した人からのコメント

2019/7/14 12:11:10

「萩芒 来年逢ん さりながら
という正岡子規の句を本歌にしているからでしょう」勉強になりました。
回答ありがとうございます!

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

zhu********さん

2019/7/1310:43:46

「友情」の意味を、普通の人間の「友情」の意味に取りたい。
「ひとり」で生きている人たちが句会や吟行を通して心の奥深いところで通じ合える、これが「俳諧の繋ぐ友情」です。

最近知人からもらった句誌の最後に「古くから俳句は座の文学ともいわれ、そこに加わる者を連衆とよぶ。句会の場に参加することで連衆意識も芽生え、俳句も俳句人生もより深いものになることは間違いない。」と書いていました。

萩や芒を見ても俳人によって見るポイントが違うから、さまざまな句が生まれます。それらの句を読み、話し合うことによって萩や芒がより身近なものになると同時に、友情も深まってくるのです。

季重なりを忌みますが、それは575の中でイメージが分裂することを危険視するからで、この句のように俳諧における季節の材料として併記しているものは、分裂するものではなく、親近感のあるものとして意識されるものだと思いませんか。

俳諧の世界で見ているのじゃがなぁ
萩と芒がお友達でいるなぁ。

「繋ぐ友情」⇒俳諧の味わい見ています、萩と芒が互いに「友情で繋いでいるなぁ」

「萩芒」大目に見て、秋の季語でいいと思います。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる