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鍋島直茂は、最終的に主家を乗っ取った形になりましたが、それは、本人が最初から...

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ID非公開さん

2019/7/1915:55:11

鍋島直茂は、最終的に主家を乗っ取った形になりましたが、それは、本人が最初から野心を持っていて、乗っ取る気満々で乗っ取ったのでしょうか?
それとも、成り行きで仕方なくそういう流れになったのでしょうか?

この人物に関する本をいくつか読みましたが、野心家の簒奪者のように言われていることもあれば、主家を献身的に支えた人物と言われていることもあり、かなり評価が分かれているのが気になったのですが?
どちらが事実に近いのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

まりえさん

2019/7/1920:04:20

龍造寺隆信が天正十二年(1584)島原で島津勢と戦いを交えて敗死してからは、重臣の鍋島直茂の手腕で龍造寺家滅亡の危機を脱しました。隆信の子政家は豊臣秀吉の命で隠居し、その子高房が龍造寺家の家督を継ぎましたが、直茂は事実上の国守として文禄・慶長の役にも従軍し朝鮮に渡り、江戸幕府も直茂を事実上の佐賀領主として遇しました。慶長十二年(1607)、政家と高房が相次いで死去。鍋島家は名実ともに龍造寺家にとって替わりました。22歳の高房は佐賀領の宗主権が戻らないことに絶望しての自害といわれ、脚色創作された「鍋島化け猫騒動」の背景となりました。

鍋島直茂が一切の実権を握る背後には豊臣秀吉の意志が強く働いていて、龍造寺政家の祖母である慶闇尼(けいぎんに)も直茂を支持していたからで、それに家臣とはいえ直茂は、龍造寺隆信にとってはいとこでありまた義理の弟でもあり、これは隆信の父親である龍造寺周家(ちかいえ)が、直茂を一時的に養子とした関係もあり、さらに母親の慶闇尼が夫の周家の死後、直茂の父親たる鍋島清房と再婚したことなどの事情によります。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

編集あり2019/7/1916:29:08

もとが分家の血縁なのですから、彼には一族を守る意思があったはずです。

実力があり保護への意欲が豊富な方を選択するのは同族も領地の農民も同じです。

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