ここから本文です

大阪の陣 方広寺鐘銘事件 片桐且元 一、秀頼を江戸に参勤させる 一、淀殿を人...

織田信長に捨てられた里芋さん

2019/7/2510:31:33

大阪の陣 方広寺鐘銘事件 片桐且元

一、秀頼を江戸に参勤させる
一、淀殿を人質として江戸に差し出す
一、豊臣家は国替えして大坂城から出る

この条件は徳川家康が提案したのですか?

片桐且元が自ら考え提案したのですか?

調べても家康が提示した話と且元が考えた話がでできます

閲覧数:
46
回答数:
4

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

img********さん

2019/7/2510:53:46

専門家の間でも見解が分かれているようです

信頼のおける史料には書かれていませんから

  • img********さん

    2019/7/2613:28:18

    「駿府記」には片桐の私案=提案とは書かれていません。

    ↓「駿府記」の記述

    ~去る十八日、駿河より大坂上着。御意の旨申上げ、末々将軍家不和いかん。然る間、秀頼江戸に在るか、御母儀江戸に在るか。然らざれば大坂城退かれ、御国替え然るべきの旨申す。~

    ですから

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

「片桐且元」の検索結果

検索結果をもっと見る

ベストアンサー以外の回答

1〜3件/3件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

ros********さん

編集あり2019/7/2900:02:02

私は家康、徳川幕府側からの提示だと思います。
片桐且元は駿府へ下向した時に幕府側からのキツイ対応に苦慮しています。
この時の条件が三つともどう考えても淀君も秀頼も受け入れ難い難題だったからです。
がその中の一つでも受け入れないと豊臣家を滅ぼされると考えた片桐且元はその徳川方からの難題を飲むしかないと淀君と秀頼に話しています、が実はほぼ同時期に淀君側近の大蔵卿局も駿府に下向しており、こちらは家康より直々にこれからも仲良くしていこう、方広寺梵鐘などあまりこちらを心配させる様な事はしないで欲しい程度の修好モードで大坂に帰っています。
つまり片桐且元と大蔵卿局同じ大坂方の2人に対して全く違う対応をする事で、大坂方は片桐且元は徳川方に寝返っており大坂方を窮地に陥れようとしていると疑心暗鬼を産ませて結果、これが奏功し大蔵卿局は家康から直々に言葉をかけられているのに片桐且元は家康から直々に言われてもいない話をして豊臣秀頼、淀君の不興を買い孤立し、謀反人扱いされ大坂城退去しています。
その後は大坂の陣参陣、豊臣家滅亡に加担する形になってしまいました。
つまり片桐且元の私案で主家たる豊臣秀頼、淀君に対して無理難題を出す言わば謀反人になる様に仕掛けた徳川方の謀略だと思います。

gpx********さん

2019/7/2520:43:05

家康のもとを訪れた片桐且元は、家康から具体的な解決策を提示されなかったので、事態を収拾するために

①秀頼が大坂を離れ、江戸に参勤すること
②秀頼の母・淀殿が大坂を離れ、人質として江戸に詰めること
③どちらか一つでも承諾できない場合は、秀頼が大坂城を退去し国替えをすること

という三つの条件を豊臣方の首脳陣に提案した、ということが『駿府記』に記されているので、且元の考えであったと思われます。

2019/7/2510:41:37

幕府がわの条件としか思えない。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

別のキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる