ここから本文です

大阪の陣 この5人の武将が豊臣に味方した理由を分かりやすく教えてください お願...

織田信長に捨てられた里芋さん

2019/7/2823:22:48

大阪の陣
この5人の武将が豊臣に味方した理由を分かりやすく教えてください
お願いします

明石全登、後藤基次、真田信繁、長宗我部盛親、毛利勝永

閲覧数:
79
回答数:
6
お礼:
100枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

ban********さん

2019/7/2918:22:08

大坂の陣の際には、江戸幕府体制下で所領を得ている大名は、ただのひとりも大坂方に付いたものはいません。
つまり、「今の世の中で居場所のないもの」だけが、一発逆転を夢見て、大坂城に集まっている、ということです。
具体的には、関が原で負けて所領を全て失った者、主人と反目して家を出ざるを得なかった者、キリシタンとして迫害されている者、などです。
ちゃんとした大名が全く大坂に味方していない、ということは、大坂に勝ち目は全くない、ということをみんな知っている、ということです。
でも、現在何も待たない連中は、どんなに勝つ可能性が限りなく低かろうと、このまま朽ち果てるよりはマシだ、と考えるわけです。奇跡が起こって豊臣が天下を取り返せば大穴万馬券、そうでなくても、いくばくかの領地を残した形で講和できれば、戦後それなりの禄にありつけるかも知れません。
真田と並び称される浪人の大将・後藤又兵衛は、主君・黒田長政と折り合いが悪く、黒田家を出奔してしまったため、世の中で復活するためには大坂城に入るしかなかった。
明石全登は宇喜多秀家の家臣で、西軍が負けたあとは同じキリシタンだった黒田如水のもとに身を寄せていたが、息子の長政がキリスト教を禁止したので出奔して大坂城に入りました。この時代、日本国中でキリシタンが大手を振って歩けるのは大坂だけだった、と言われています。
長曽我部は家ごと潰されたので、山内侍の下で虐げられるのが嫌なら、浪人するしかない。そこで旧主が大坂に味方するといえば、最後のチャンスなので、ついていくでしょう。
毛利勝永も、同じ立場です。関が原で西軍についたため取り潰され、土佐に預けられていたのを脱出してきました。
真田幸村(信繁)も、要するに関が原で負けて、九度山に幽閉されていたわけで、これはドライな言い方をすれば「兄との相続争いに敗れて追放された弟」です、客観的にみれば。大坂の陣は、一発逆転を狙う最後のチャンスです。
それだけのこと、と考えたほうが、正しいです。義だのなんだのは、後付の理由にすぎません。ただの食い詰め者、と言ったら可愛そうなので、お話のうえでは、いろんな大義名分が語られますが、結局は、それは「お話」にすぎません。

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/5件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

seo********さん

2019/7/3113:48:45

後藤又兵衛 黒田家で万石取りの家臣だったが主君長政に奉公構えにされて乞食をせざるを得ないほど窮乏
長宗我部 京都で寺子屋しながら京都所司代に定期的にお家再興を伺っていたようだが果たされず
毛利勝永 山内の殿様と義兄弟のような関係で徳川の許しがあれば重臣になるのも可能だったと思うがそれでも土佐を抜け出した。豊臣家に対する思い入れは相当強かったと思われる
他にも細川忠興の実子が家督争いに敗れ大坂方に参加してます

peace2qazさん

2019/7/3007:57:24

大坂冬の陣の後、真田幸村は信州10万石、さらには信州一国を断り、変らぬ秀頼への忠誠を示し大坂城に留まったと伝わっています。

主君と仰いだ豊臣秀頼が戦うとき、駆け付けるのが武士というものでしょう。

この5名が、忠義の士であったことは明らかです。

金だけで動く男なら、ここまで小説や講談のスターになることはなかったはずです。

shi********さん

2019/7/2909:37:14

このままみじめに人生終えるよりは、武士として名を挙げ華々しく死ぬ。
よしんば勝って捲土重来できるなら、なおのこと良し。
ということでしょう。

mas********さん

2019/7/2909:13:11

みな、浪人でしたよね。
だからです。

現役の大名は誰も味方していません。

プロフィール画像

カテゴリマスター

goo********さん

2019/7/2901:01:10

明石全登: 関ケ原の副総大将格の宇喜多秀家の家臣筋だった。

後藤基次: 黒田家家臣だったが長政と不仲になり浪人になった。

真田信繁: 関ケ原に向かう秀忠軍を信州上田で釘付けにする活躍をしたが、戦後は九度山に流された。そこに大阪方のスカウトが来て最後のひと花を咲かせようと決意した。

長宗我部盛親: 関ケ原で西軍につき、戦後領土を没収された。京都で寺小屋の教師をしていた。

毛利勝永: 関ケ原で西軍につき改易される。土佐にて半隠退生活を送っていたが大阪方がスカウトに来た。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる