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戦国史のIFに関する質問ですが、 天正10年(1582年)に武田家が織田軍の侵攻を受...

log********さん

2019/8/2020:23:07

戦国史のIFに関する質問ですが、
天正10年(1582年)に武田家が織田軍の侵攻を受けた際、
もし武田勝頼が真田昌幸の進言を入れて上野の岩櫃城を目指していたら、

その後の展開はどうなっていたと思いますか?

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lig********さん

2019/8/2023:11:40

さて、どうでしょう。
真田も武田滅亡前には北条と接触するなど従属先を乗り換える動きをしていますからね。国衆としては当然です。
しかし、真田昌幸は信玄に引き立てられ、武田一族の養子として家老になった人物であり、武田への思いは強かったと思われます。
武田滅亡後に次男信繁に武田通字の「信」を名乗らせたり、高野山配流後に花押を武田時代のものに戻したりといった具合に。

仮定として真田が勝頼を受け入れたとしても、なかなか厳しい状況であることに変わりはないでしょう。上杉の援軍があったとしても上杉自体が存亡の危機を迎えていましたし、東北諸大名も織田になびいていましたから逃亡も難しい。北条も織田方ですからね。
真田が裏切れば小山田と同じく処分されるでしょうし、ここは信長の着陣を待って最後の戦を仕掛けるのが今生の面目ではないでしょうか。

質問した人からのコメント

2019/8/26 14:37:12

真田昌幸は「表裏比興(ひょうりひきょう)の者」と呼ばれたほどの
人物ですしあの時代のことですから、主君への裏切りは普通にありえ
たでしょうね。

ただ昌幸には意外と律儀な面もあったので、もしかしたら武田勝頼を
守って織田と一戦交える展開もあったかもしれないなと思ったりもし
ます。仮に勝頼を守って戦っていたとしてもやはり状況は厳しかった
でしょうが…。

皆さん回答ありがとうございました。

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fbb********さん

編集あり2019/8/2220:56:18

真田は土豪にすぎない。上杉景勝は越後から出る力はなくまとめる力もなかっただろう。勝頼も景勝も実は白旗を信長に出していたらしい。だが信長が受けなかった。今の日本のまわりを見るとこの話は恐ろしい史実で悲しくなるよ。武田も上杉も二代目になると強くない。今の日本人と同じだね。新府城は大きな城だ。悪いが勝頼は領民から怨嗟の声だらけだ。生き残りは難しいと感じる。

usai21さん

2019/8/2020:46:12

真田昌幸が裏切って武田勝頼を攻め滅ぼすか、身柄を捕らえて織田、上杉、北条のいずれか一番高く買ってくれるところに売り渡すかもしれませんね。

真田昌幸が律儀に武田勝頼を守り通すなんてあり得るでしょうかね。

小山田信茂は裏切った、真田昌幸は裏切らなかったというのは、武田勝頼が岩櫃城に行かなったという結果からたまたまそうなっただけで、真田昌幸が裏切らないという理由にはなりませんしね。

もっとも、岩櫃城に立て籠もり、織田軍を華麗に撃退!という結果があってもいいとは思いますが。

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