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壬生義士伝の吉村貫一郎の家族はなぜ貧乏なのでしょうか。 壬生義士伝のなかで...

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ID非公開さん

2019/8/2602:15:00

壬生義士伝の吉村貫一郎の家族はなぜ貧乏なのでしょうか。

壬生義士伝のなかで、吉村貫一郎はお金が入るたびに家族に仕送りをしていたとのことです。新撰組のお給金ですし、貫一郎自身も嬉し

そうに「おもさげながんす」と言えるくらいの額だったようです。

しかし実際には、貫一郎の母が自ら食を絶って餓死しなければならない程に、盛岡の家族は貧乏だったようです。

この矛盾は一体どのようなところから来るのでしょうか?

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mis********さん

2019/8/2614:33:43

二駄二人扶持というのは今の年収に直すと100万円以下です。
そんな収入では家族5人生きていけないので、出稼ぎして仕送りする
ことにより家族を養おうと決心して脱藩しました。
新撰組ではかなりの高級をもらえていたようですので、国の家族は
そのおかげで飢えることなく暮らすことができたのです。

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kou********さん

2019/8/2610:34:17

武士と言っても、現実は藩主に仕える公務員なのですよ。貧乏な藩の下級武士は給料の低い下級公務員。貧しい者が多く、色々なアルバイトをやっていました。上は剣術指南から下は傘や提灯の修繕など。しかし武士としての誇りは高かった。

吉村貫一郎は貧乏藩の貧乏武士。これではとても家族を養っていけない、と脱藩(当時は重罪)し、いい報酬を貰える新撰組に入ったのです。その代わり命と差し替えですね。そしてその通りになりました。

ran********さん

編集あり2019/8/2608:04:21

母親が餓死するくらい貧しかったから、脱藩して新選組に入り、仕送りして家族を食べさせていったということですね。
観劇した、あるいは原作を読んだなら、すぐにわかることですが。

朧月夜さん

2019/8/2607:00:42

母が自ら餓死するほど食えなかったから、新撰組に志願したのでは?

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少年の夢さん

2019/8/2605:43:28

貧乏人の子だくさんだったからだと思います。
それに新撰組って芹沢のようなずる賢い考えと違い
まっすぐすぎる土方や近藤ではお給金も
そんなに多くなかったとおもいますよ。

武士はくわねど高楊枝というか。

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