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三国志の正史についての質問です 魏、蜀、呉、はそれぞれどのような理由で後漢の...

yam********さん

2019/9/1605:22:11

三国志の正史についての質問です
魏、蜀、呉、はそれぞれどのような理由で後漢の正当な後継者と主張していたのですか?

また、実際に正当性が一番高かったのはどこの陣営なのでしょうか?

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漢晋春秋さん

2019/9/1609:15:40

魏は後漢の献帝から正式に禅譲を受けていて、これが王朝創建の根拠になっています。同時代人はもちろん後世の多くの史家が魏を正統と見なすのも当然のことです。
蜀漢は「献帝が弑された」という誤った情報の元にではありますが、献帝の後を継ぐとして劉備が朝廷の体裁を整えて即位したもので、国号は「蜀」でも「蜀漢」でもなく「漢」です。つまり魏に(一旦は)滅ぼされた漢王朝の再興という形を取っており、これが後世で蜀漢正閏論の成立とともに「正しく天命を受け継いだ正統王朝」であるという評価を確立しました。蜀漢正閏論とは、天命は後漢から魏を経ずに蜀漢へ受け継がれ、さらに晋がそれを受け継いだ、という考え方です。

呉だけはそうした正統論には与しません。史上初めて統一を果たしたのは秦の嬴姓(趙氏)の嬴政であり、その後天下を長く支配したのは劉氏であるため、天下を支配するのは劉氏の特権ではなく「実力と天命のある者ならば何人であろうと天下の主になれる」と知っていたのが呉の初代孫権と、孫権の帝位登極を推した魯粛でした。

晋は司馬懿が魏の王朝で実権を握り、息子の司馬師がそれを強化し、その弟の司馬昭の代になって禅譲を視野に入れて行動するようになります。蜀漢を滅ぼして晋王となり、後は禅譲を実行するだけ、という段階で司馬昭が急死したため、実際に禅譲を実行したのは司馬昭の子の司馬炎でした。このため晋は魏の正統性を認めてその後継王朝となったと言えますが、統一王朝としての晋(西晋)は短命王朝に終わり、華北を失って江南で再興(東晋)するに至って先述した蜀漢正閏論が台頭しました。華北を失った自分たち(東晋)と蜀の地で亡命政権として成立した蜀漢を重ね合わせたんですね。
この考え方は漢民族王朝が華北を取り戻せなかった南北朝の期間に支配的になっていき、それが『三国志演義』の成立する素地ともなっていきます。まあ結局南北朝の統一を果たすのは北朝側(異民族王朝)から現れた隋なんですけどね。
なのでまあ、正当性など考えるだけ無駄だとも言えます。結局のところ実力なくしては天下など統一出来ないし、統一したところで西晋や隋のように短命で終わる事も多いのですから。そうした意味で正統性が最も高いと言えるのは魏(後漢から禅譲を受けた)でしょうが、正当性(実力と天命のある者が天下の主となる)が最も高いのは呉だと言えるかも知れません。呉の考え方はその後の中国史を象徴していると言ってもいいと思います。

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vit********さん

2019/9/1920:32:04

>また、実際に正当性が一番高かったのはどこの陣営なのでしょうか?

天子の最重要行事はそもそも天地を祀ることにあります。これを冬至と夏至に郊外で行うのですがこれを「郊祀」といいます。この行事は天地の中心である国都で行う必要があります。洛陽でそれができるのは魏ということになります。

劉備は勝手に適当な場所で郊祀を行い、孫権は部下から郊祀を進められても洛陽を支配していないという理由で郊祀を行っていません。が亡くなる前年に行いました。この点において彼らの理屈と袁術との理屈は同類であり、孫権はそれら正統性の矛盾や証拠不足を一番理解していると思われます。瑞祥の多さはその反動でしょう。

単純な話、天子のある京都や江戸を押さえた方に正当性があるのと一緒です。

kum********さん

2019/9/1713:22:10

それぞれが皇帝になった理由と言うのは書いていないので、ざっくりと書きます。
基本的にこの時代、皇帝は天の代行者であり、国が衰えた、と言うことは天命が尽きて新たなる天に変わる時期になっている、と言う考え方に則っています。


もはや漢の権威は衰え、あちこちで反乱や異常気象(この時期は寒冷期で寒かった)が起きている。もはや漢の天命は尽きていると考えられ、漢からも禅譲の伺いを受けているのだから、代わりに魏が新たな天となり、国を治める。

蜀(漢)
魏は勝手に漢の天命が尽きた、として漢を乗っ取り、勝手に魏と言う国を興したが、漢の天命はまだ尽きていない。同じ劉姓を名乗る劉備が代理として皇帝となり、漢の天を引き継ぐこととする。


魏も蜀もそれぞれ皇帝を名乗り勝手に国を興しているが、彼らはいずれも偽者であり、今は天(皇帝)が不在の時代である。このままでは国が乱れてしまうので、臨時として孫権が新たな皇帝となり、国を治めることとする。

まあざっくりとこう言う言い分で彼等は皇帝になり、国を興している訳です。

後世の正統論とかはどうでも良いのですが、この中で一番説得力があるのはやはり魏です。きちんと後漢の皇帝からその座を譲り受けた訳ですから。

蜀は魏のアンチテーゼでしかなく、しかも劉備達が皇帝になる、と言う論拠はあくまでも後漢最後の皇帝である劉協が殺害され、皇帝の位を不当な形で奪われていることが条件となる訳です。

ですが実際は殺害されておらず、かなり優遇された措置で魏領内で暮らしていた訳です。蜀側に本当に正統性があったなら、何が何でも劉協を奪い、彼を正統な皇帝として迎えなければならなかった。そこまですれば、こぞって魏の人民は蜀に流入していたかもしれません。結局それがなかった時点で、世の人々は漢の天命はやはり尽きており、魏の新しい国家が誕生したのだ、と言う印象しか受けていなかったことになります。

2019/9/1606:07:03

一番は曹魏です。献帝・劉協から禅譲の体裁をととのえて曹丕は帝位を譲り受けた形にしたので、もっとも正当性があり、正統性もあります。

次が蜀漢。魏のアンチテーゼとして、漢の後継をうちたてましたので、いわば対案を主張しているわけです。
もっとも、献帝が殺されたという風聞をもとに劉備が帝位につきましたから、献帝が生きていたのがわかってからも帝位を守り続けた時点でお察しです。

正当性も正統性もないのが孫呉です。

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