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指揮者マルケヴィチについて質問です。

yos********さん

2019/9/2116:35:39

指揮者マルケヴィチについて質問です。

指揮者のイーゴリ・マルケヴィチ (1912年~1983年)の経歴では、「1942年に病気を患い、以降作曲の筆を折る」(wikipedia参照)とされています。

つまり病気を機に作曲を諦め、指揮者に専念したということですが、普通は逆な気がします。
作曲家より指揮者の方が体力的に大幅に消耗すると思います。作曲なら療養しながらでも可能なイメージがあります。

あるいは、指揮者の方が収入が格段に上回ることから、治療費をねん出する目的だったのでしょうか?

詳しい情報をご存じの方がおられましたら教えてください。

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marさん

2019/9/2202:05:39

ファンですが詳しくありません。
昔から多少疑問は持ってました。
大抵のものには「病気の為」「回復後」作曲は辞めたとありますね。
記述により1941か1942年の事。
まさに大戦中。
回復後、イタリア在。
大戦中はパルチザン活動とあります。
1947年にはイタリア市民権獲得。
ま、彼は典型的なコスモポリタンですから戦後はあちこちの国で指揮活動を。

で、後年、1978年にイタリアのテロ組織「赤い旅団」が起こしたモロ元イタリア首相誘拐殺害事件では、マルケヴィッチの自宅の横で死体が発見されたなんて話もあります。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q101352335...

1942年、シェルヘン、イタリア、パルチザン、共産党、コスモポリタン、事件5年後の仏アンティーブでの急死...
作曲家より指揮者の方が各地に動ける、活動しやすいかも。
ま、本当のところは本人にしか分かりませんが。
His composing activities dropped off as he increased his conducting.
なんて記述もたまにあるくらいですから、単に忙しくなっただけかも。

亡くなる2ヶ月前の来日はN響も都響も行きました。
特に都響のワーグナーの夕べ演奏後、マルケヴィッチはかなり疲れていたようでした。
楽屋に集まったファンをチラリと見て、関係者に「What they want?」と一言。
握手かサインをねだっていると知ると、首を振って楽屋の中に消えました。
疲れていたのは確かです。
ま、その時に訊けば良かったのですが...
今でもありありとその声だけが。

昔々に出版されたマルケヴィッチの写真集があります。
子供達と食事したり家族で団欒する様子も。
実に和やかで微笑ましい。
急死であったとは言え、安らかな死であって欲しいですね。
作曲を辞めた理由は謎ですが。
あ、そうか!
息子に訊けばイイんだ(笑)。

これも最後あたりの演奏です。
https://m.youtube.com/watch?v=4jx0nvQ_hZg

お役に立てず申し訳ありません。

質問した人からのコメント

2019/9/27 20:49:16

亡くなる直前のN響との「悲愴」は何度かテレビで観ました。あのすばらしい「悲愴」は、この定期公演のメインプログラムではなく、前プロだったことは最近知りました(後半は展覧会の絵)。同時に都響に客演していたとは知りませんでした。
病気の件、もしかしたらwikipedhiaの日本語ページの正確性に問題があるのかもしれませんね。もう少し調べてみます。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

jre********さん

2019/9/2123:13:09

晩年のマルケビッチならN響振ってましたから、よくテレビで見ましたよ。
痩せてて、そう言われれば不健康そうでした。
でも指揮振りはよかったです。こっちにすごく伝えかけてくる感じでした。

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