ここから本文です

武士ですか。よく知らないのですが日本では上級の者から「切腹を申し渡す」とかな...

アバター

ID非公開さん

2019/10/1123:35:49

武士ですか。よく知らないのですが日本では上級の者から「切腹を申し渡す」とかなんとか言われて自殺しますが何故ですか。人に無理やり切られて死ぬなら刑罰として分かりますが自分で腹切って死ぬなんておかしくんな

いですか。

閲覧数:
64
回答数:
8

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

wan********さん

2019/10/1123:40:38

人に斬られるより自分で斬る方が度胸がいるからです。

試しに、今自分の鼻を骨折するくらい思いっきり殴って見てください。
絶対に無意識に力を抑えてしまいますよね。
人にやられるより、自分の意思でやる方がよっぽど勇気がいるんです。
「自分が悪い」という事を自覚し、自分は本気でこの罪を償います、という意思表示の為に、昔の人は切腹をしたのだと思います。

  • アバター

    質問者

    ID非公開さん

    2019/10/1200:05:52

    ありがとうございます。
    しかし、支配と被支配の関係において「自分は絶対に悪くない」「間違ってはいない」という場合とそうではない場合とがやはりあると思うのです。そう考えると切腹をあくまで拒否して殺される人間も当然いたかと思うのですが、どうなのでしょうか。

  • その他の返信(1件)を表示

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/7件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

cae********さん

2019/10/1211:34:10

もし拒否したら、もはや武士にあらずと斬首され一族の恥ともなります。前の方も書かれていますが武士は恥を嫌います。武士と武士以外の方の違いの1に武士は過ちを犯したら自分で自分を罰する事が出来ると言うのが有ります。

ren********さん

2019/10/1210:51:54

武士というのは恥を嫌う種族なのです。なので死ということに対して恐れをあまり感じないと考えられます。こればかりは現代人には理解できないと思います。

小次郎さん

編集あり2019/10/1208:39:04

死んだら元も子もないと思われます でしょうが 、 武士とは死ぬことと見つけたり 、 そして死んで 名を残すこと。 何より 死に際が最も大切なのです。

日本人は何より名誉を重んじ、その場で清く決着をつけ 子孫にまで因縁、怨恨を残さない事でした。

切腹ですが、町人の場合、死で償わせる程の大罪を犯した場合、市中引き回し、晒し者にしてから梁貼け獄門だの釜茹でなどもありました。

しかし切腹は町人には許されず切腹は武士の特権だったのでした。して特権とは、武士は清く切腹する事で罪を清算でき、自分の不徳で何より家名を汚す事を恥としたからです。

徳川時代の大名でしたら、謹慎処分では自らそうそうに座を降り隠居し反省の意思を表明したり、切腹する事でお家存続を叶えたりと。

最も肝心なのは武士道であり、大義、道義、節義、忠義、仁義、信義、恩義、律義などがあり、武士たる者は身を挺する必要があり、いずれかに抵触すれば切腹=自害して償い 名誉だけは 残す 必要性があったのです。

例えば戦国時代に朝倉という大名がおり、 心 情 が勝てば 何でも良い、つまり卑怯な、いかなる手を使っても勝てばいいんだと。 このような 生き恥を晒しますと犬畜生にも 劣ったと 今でも名を汚し子孫は 恥から身を 小さく隠すよう生活 する ことになります。

対比して 有名なところでは、籠城戦で あっても 堂々と戦うため 敵に塩を 贈り、 これ、 今日でも 、あっぱれな 行為 だと褒め 伝え 称え られています。

また 、いくら戦乱といっても、道は踏み外さず、 敵兵を捉えた場合は処刑ではなく切腹させました。

また武士ならガンマンのように武器を、すぐ抜くと思われがちですが、それは違い、戦乱が終わり徳川大平の時代となると、双方、刀を抜けば、いかなる理由あれど、おとがめがあり喧嘩両成敗、 切腹 の掟で、また 怨恨による 仇討ちも禁じられました。

そんな時代だからこそ、一度、武士が刀を鞘から抜いたからには、鞘に戻したところで済まされず切腹ですから、相手を斬り殺さねば笑いものとなるので本望を遂げねばならないのです。

名誉を重んじる 侍武士 には 武士道ありきで、徳川 の時代には 厳しい掟も定められ たので 300年もの平和が保たれたの でした。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

■よもやま話し。

以上に述べた事が武士道で、わかりやすいところで日本の有名な物語に「赤穂浪士」があります。

赤緒の殿様は上様=将軍の接待役となり、接待の仕方は吉良の殿様から教わるのですが、伝授されるにも無作法があり、始終意地悪されて腹を立てていました。

当時、殿中=将軍の居城で刀を抜けば切腹では済まされず、お家断絶でした。ですから、あえて吉良はネチネチと赤緒の殿様をなじり、激怒した赤緒の殿様は、お家断絶の覚悟で刀を抜いたら斬り殺せばよかったのですが、吉良を負傷させただけでした。

しかし、殿様とあれば、どんな屈辱を受けても家臣と居民を護るために忍ところは忍ばねばならないのに、とんだバカ殿様でした。

しかし、赤緒に同情の声も ありながら 将軍は 一方的に 切腹のうえに、お家断絶を命じたので、やはり一度抜いた刀は鞘に戻らなかったので、憤慨した家臣らは毛頭切腹覚悟で再度吉良を襲って仇討ちしたのです。

徳川の大安の時代に赤緒浪士らは天下の掟を破った事は重罪でしたが、侍の武士道の大義、道義、節義、忠義、仁義、信義、恩義、律義を貫いた赤緒浪士のお墓には今も、お線香が絶えず、彼らは 死んで名を残し 決して 不義 を犯した 者共とされず 、 忠 義の英傑として 語り伝えられている のも日本の文化なのです。

また、神風特攻隊を編成したのは大西瀧治郎ですが、彼は終戦間際に責任をとって自決=切腹しましので、特攻に対し賛否両論あるなかで彼、個人に対する非難は聞いたことがありません。

それは国難から、あくまで特攻は軍部の方針であり、彼は自ら汚名を着る覚悟で発令したに過ぎない事を多くの日本人は理解しているからです。

また 叶いませんでしたが、 彼は 対米戦に対し飛行兵に対しての訓示で、君たちは命をそまつにしてはならない。たとえ敵地に 不時着 しても 必ずや日本軍が進出して開放する からだと。 そもそも彼は死を強要する 特攻作戦は邪道だと 言い切ったほどです。

対して、陸軍知覧飛行場司令官、豊永は、特攻だ特攻だと隊員を鼓舞し、俺も跡から続くと先導していたが、敗戦すると、命欲しさから、後始末が大事と雲隠れしました。

しかし、そんな豊永を日本人は軽蔑し未だに許しません。彼と、 その 子孫は永久に汚名を晴らす事はできないのです。

真田 遼さん

2019/10/1203:21:16

元々は名誉の為に切腹をした訳ではなく、誰だったか忘れましたが腹を切って死んだ人がいた訳です。
それを美徳として語られます。
戦国時代になると美徳の意味合いと敵には討ち取られない自ら死を選ぶ、が自らを処すという意味合いに変わっていきます。
さらに江戸時代になると解釈人がつき自らを処した後 苦しまないように首をはねるのが思いやりでありしきたりとなっていきます。
戦国時代の切腹は解釈人がなく腹を十字に切るのが一般的だったと言われています。

、、、と、記憶していますので記憶違いがあればより詳しい人が回答をくれると思います。

lit********さん

2019/10/1203:07:08

古代の律令制において
皇族や貴族に対して死刑は適用されませんでした。

それでは皇族や貴族は死なずにすんだのか?

というとそうではなく
自分で死ぬ、大抵は服毒自殺することを求められていたんです。

つまり
国家などにより死刑とされる、処刑されるのでなく
自決、自分で死に至らしめることで身分による一種の特権を与え
名誉だけは維持させていたんです。

実質的には処刑される、死刑になることと同じでも
身分のある人間にとっては形式というものが一般の人より重視されていたんです。

そして
武士の場合でも反逆罪などの場合は
武士以外の者と同様に斬首となることもあり
それは一般人が斬首となるのと同じでも
より重い、不名誉な処罰だったんです。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる