ここから本文です

理工系は修士課程まで行くのが当たり前の理由は何ですか?

知秋さん

2019/10/1313:52:42

理工系は修士課程まで行くのが当たり前の理由は何ですか?

閲覧数:
122
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

the********さん

2019/10/1314:27:07

専門の領域の境界があいまいになってきて,
それぞれの専攻で教育した方がいい内容が
増加傾向にある。そのため,30年くらい前には
学部で教えていたことをその後教えられなく
なった。それを補うためにも修士で,さらに
数科目は専門教育を継続している。また,
卒論の一回だけではなく,修士でも論文を
書いて専門家の前で(学外で)研究発表を
することによって知識は頭に定着し易いし,
民間企業も30年前とは違って,そういった
2年分の無駄を高く評価してくれるように
なっているから。

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

プロフィール画像

カテゴリマスター

koy********さん

2019/10/1410:26:17

約80%の修士課程進学という報告があります。大卒の能力がある時期からかなり低下しているためと思います。しかし、修士課程は履修科目はあるものの、今までの研究に対する教えは独学的な部分がほとんどですので、教える側の意識が変わらないと効果は余り上がらず、"修士課程修了の"学歴が付くためと思われます。
マナーや礼儀の低下、学力低下は、生徒や学生のせいではなく、このように変えた政治や文科省の責任です。権力者の自分達の利益のために、批判のない"国民バカ化作戦、愚民化作戦"の一つだと言う人もいます。就職難、低学力化、ポスドクの問題、博士号を持たない社会人教員が4割、准教授まで期限付きの採用、小中学校の学級崩壊、モンスターペアレンツ、精神的な問題で定年前に辞める小中学校の先生など、解決しなければならない問題が山積みです。1980年以来、35年経過し、科学的知識のない、或いは教養のない者が、社会の中間的な役割を担う年齢になっています。大学人、医者、政治家、化研、東芝や旭化成等の企業の不祥事、桝添氏の問題や国会議員の考えられない発言と行為が多くなっています。立花隆氏が「東大生はバカになったか 知的亡国論」(文芸春秋)の書籍で指摘する教養のない人間が多くなっている現象の表れと思います。

東大で非常勤講師をしていた立花隆氏の「東大生はバカになったか 知的亡国論」の書籍によると、レポートでの誤字の多さを指摘しています。また、理系の東大生97名に、1円硬貨の直径(正解20mm)についてアンケートを採った結果、1cm未満 (2.1%), 1cm (37.1%), 1-1.3cm (6.2%), 1.5cm (13.4%),1.6-1.8 cm (1.0%),2 cm (26.8%),2.1-2.5 cm (1.0%),3 cm以上 (2.1%),無回答 (10.3%)。東京-札幌間の直線距離(正解831km)を聞いたところ、100 km 3.1%, 200-400 km 9.3%, 500 km 17.5%, 600 km 3.1%, 700 km 6.2%, 800 km 7.2%, 1000 km 26.8%,1100-1900 km 4.1%, 2000-6000 km 3.1%, 10,000 km以上 1.0%, 無回答 18.6%でした。私達の時代には、3桁の足し算が出来ないとか、A,B,Cを知らないとか、1mが何センチか知らない者は居なかったと思います。「PISAの点が云々」の問題とレベルが異なると思います。

また、1994年のデータですが、高校生の理科の科目の履修は、物理約11%,化学約55%、生物約40%、地学約7%というデータがあります。いずれの科目も1970年頃は地学を除いて80%以上の履修でした。特に中学レベルの文系の学生が教養科目として大講義室で物理を学んでも効果は期待されず、文系出身の政治家、官僚、企業の社長など、自然科学の基本である物理が中学レベルでは問題で、立花氏が言うように、科学無くして教養は無理です。また、科学や数学を学ばないで論理的思考の訓練は不可能です。今まで、世界の技術社会の中で日本が高い技術力を維持してきたのは、以前は米国の大学並みの教養教育の基本を学ぶ高校教育であったと言われています。高校での履修科目が理系、文系とも極端に1980年以前と比較すると少なくなっているのが問題です。

インドの小学校では3桁の掛け算の暗記をしているというのに、日本の大学では、3桁の足し算や分数の足し算、a,b,cから始める中学の授業をしているのが現状です。また、テレビで、中学1年生が、夜と昼が何故あるのか解らないとか、1メーターが60センチと言っていました。文系の大学生を指導していた自動車学校の教員が、"30cm幅寄せするように"と言ったら、"文系だから30cmの大きさが分からない"と答えたとのことです。1時間が60分であることを知らない文系の学生も結構多いようです。理科と同様、数学も履修が少なくなり考える習慣もかなり減少している結果と思います。

大学では高校時代必要な科目を履修していない場合、大学の講義を受けても中学レベルでは無理ですので、予め入学前に課題を出して成績を見て、補習授業が必要な学生を判断するために行うと思います。補習授業のための初年次学会が出来るほど高校時代未履修の学生が多くなっています。これは、文科省や政治家の責任です。或いは高校時代の科目の履修の有無で一般教養の科目のクラス分けに利用し、物理など履修して来なかったクラスでは、内容を変える場合があると思います。
高校時代履修してこなかった学生に対し、大学での高校教育をどうするかを考える初年次学会があるのが現状です。不足している高校での履修科目を大学でやらないと大学教育が成り立たないのが現状です。

1980年代以降、文科省の学習指導要領による教育、ゆとり教育、高校の理系科目の教育内容の削減政策を行ってきました。現在、高校の理科の科目は、伝統的に物理、化学、生物、地学に分けられていた科目を13科目に細分化して、そのうちの2科目を選択すればよい。自分は理系でしたが、理系科目はすべて履修し、社会は日本史だけ履修しませんでした。さらに、以前は、大学入試で理系、文系に関係なく理科、社会で6科目履修し3科目か4科目の受験であったが、センター試験では 社会、理科はそれぞれ1科目、二次試験では、国立大の場合、理系に、社会無し、理科は、2科目、文系に理科無し、社会2科目となっている。私立大は更に少なくなっています。高校では、2年から理系、文系に分かれ、受験に不要な科目の履修は軽視されています。高校まで明らかに学習する科目が少なくなっています。今まで、世界の技術社会の中で日本が高い技術力を維持してきたのは、以前は米国の大学並みの教養教育の基本を学ぶ高校教育であったと言われています。このような教育を受けてきた人は50才になっています。政治家や官僚が自分達のやりたいようにするため、彼らによる国民バカ化作戦という人がいます。

日本の場合は、教育に掛ける予算が先進国では最低です。2009年の国内総生産(GDP)に占める学校など教育機関への公的支出割合は、OECD平均は4.8%,日本3.3%で、比較可能な28カ国の中では最下位。私費を含めた高等教育機関に対する全支出に占める公費の割合はOECD平均が69.1%に対し、日本は32.5%にすぎません。日本は、授業料の私費からの支出の割合が大きい。諸外国は先行投資として教育にお金を掛けています。

aso********さん

2019/10/1316:33:52

文系と異なり理系は専門分野を生かした職種につきます。科学技術の水準が上がって学部卒ではそういう仕事をこなせないからです。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo!知恵袋カテゴリ

一覧を見る

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる