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三国志の蜀の北伐時に馬謖が街亭で山の上に布陣していなかったらその後の勢力図は...

paku526neoさん

2019/10/1420:18:41

三国志の蜀の北伐時に馬謖が街亭で山の上に布陣していなかったらその後の勢力図はどうなっていたと思いますか?

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kum********さん

2019/10/1510:40:51

相手が張コウである以上、山上だろうが麓だろうが、馬謖が指揮官である以上、蹴散らされることに変わりはないと思いますね。

元々麓で戦うのはあくまでも関西方面を攻略するための時間稼ぎのようなものだったので、どのような戦い方であれ、局地戦としては敗北は確定していたようなものです。受けもつ武将としては敗北の汚名を着ることになる。それが全体の勝利に繋がったとしてもね。

単独での指揮はほぼ初の馬謖は、そこを勝ちに転ずることはできないかと考えたのかもしれませんが、これは相手が悪かった。

麓に陣を敷いていたとしても、上でも書いた通り恐らくその後の結果は変わらなかったと思います。ただ、もしかしたら馬謖は処刑されず、その後も蜀側の参謀として謀議に参画していたかもしれない、と言うところですかね。

それが蜀にとってどれだけプラス(あるいはマイナス)になるかは分からないです。

質問した人からのコメント

2019/10/15 11:53:25

ありがとうございました。

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tun********さん

2019/10/1421:11:36

いや。馬謖が山すそで対陣したら、張郃に一撃でやられたと思います。
山の上に布陣したのは、勝てる可能性のある唯一の方法でした。
張郃にその弱点を見破られて敗れはしましたが、一定の時間を稼ぎ、蜀軍の撤退に貢献しました。そして蜀軍敗退の罪を一身に背負って処刑されたことが、馬謖の最大の貢献です。
回答は、事態は蜀にとって、さらに悪化していたでしょう、です。

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sna********さん

2019/10/1420:39:30

蜀の北伐はほとんど涼州と言う土地を攻めたものです、諸葛亮の北伐の100年程前の後漢時代の中国は13の州に分かれており人口は約4800万人、涼州は13州の一つですが人口は40万人程度のもっとも小さな州です、奪っても意味が無いとは言いませんが奪ったからと言って三国の勢力が変わるものではありません

ちなみに三国時代末の人口は後漢時代から1/10程に減少します

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nek********さん

2019/10/1420:26:06

最終的には呉が最初に消えて、魏(晋)が長安・荊州(永安)の二面作戦で蜀を打倒しそうかね

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