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1945年、終戦時の昭和天皇の玉音放送をyou tubeで聞きましたが、難解な言葉で、正...

tat********さん

2019/11/309:26:04

1945年、終戦時の昭和天皇の玉音放送をyou tubeで聞きましたが、難解な言葉で、正直何おっしゃっているか分かりませんでした。当時放送を聞いていた国民はあの言葉を理解できたのでしょうか?

終戦宣言である事は何となく分かったとしても。

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山田太郎さん

2019/11/1009:23:12

私の周辺の人々(祖母や両親)の話では、よく分からなかったと言っていました。ただ、教養レベルの高い人が「とにかく戦争は終わったらしい。」と周りに説明したとのことです。
独特の口調もあり、それにいま聞いても音が悪いし、機器の性能も悪いし、そうだったのだと思います。

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ベストアンサー以外の回答

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2019/11/319:14:28

言葉も難しいが、あの独特の抑揚は、祝詞のリズムらしい。
陛下は自ら国民の前に立つと言われましたが、初めての事なので慣れてなかったのでしょう。
又、当時のラジオの受信状況は悪かったでしょう。
昔のクレージーキャッツの映画で、これから特攻隊出撃と言う場面で、玉音放送の内容が誰も分らずパイロットの植木等に司令官が、「陛下も激励されておられる。」と出撃を促す場面がありました。

ojy********さん

2019/11/318:35:00

理解できないと言うよりも受信状況が悪くてよく聞き取れないというのが本当のところ
当時教育を受けたものなら理解できる内容だ

理解できないなんて回答している人間は
当時でも理解できない人間の部類なんだろ

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he0********さん

2019/11/315:53:47

玉音放送は、国内放送、海外放送、東亜放送の全系統を動員して、日本本土と短波により、東亜中継放送を通じて中国占領地、満州、朝鮮、台湾、さらに南方諸地域に送られた。このため、電波管制により昼間一○キロワットであった放送出力を六○キロワットに増力し、昼間送電のない地方にも特別送電の措置がとられた。
・午前十時三十分 大本営発表。我航空部隊は八月十三日午後、鹿島灘東方二十五浬(かいり)に於て航空母艦四隻を基幹とする敵機動部隊の一群を捕捉攻撃し、航空母艦一隻及び巡洋艦各一隻を大破炎上せしめたり
・午前十一時四十分 東部軍管区情報。霞ヶ浦にありし敵二機は、目下鹿島灘にあり
・午前十一時五十五分 東部軍管区情報。東部防衛司令部、横須賀鎮守府司令部発表。
1、敵艦上機二百五十機は三波に分れ二時間に亘り、主として飛行場、一部交通機関、市街地に対し攻撃を加えたり。2、十一時迄に判明せる戦果、撃墜九機、撃破二機なり
・午前十一時五十九分 東部軍管区情報。目下、千葉、茨城の上空に敵機を認めず 千葉茨城両地区、関東海面は警報発令中なるも、東部防空情報一時中止す
・正午の時報
・(和田信賢アナウンサー) 只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様御起立を願ひます。
・(下村宏情報局総裁) 天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏(かしこ)くも御自ら大詔(おおみことのり)を宣(の)らせ給ふ事になりました。
これより 謹みて 玉音をお送り 申します
・君が代奏楽(レコード)
・天皇陛下による詔書放送(録音再生)(四分三十五秒間)
・君が代奏楽(レコード)
・(下村宏情報局総裁) 謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります。
・(和田信賢アナウンサー) 謹んで詔書を奉読いたします
畏くも 天皇陛下に於かせられましては万世の為に太平を開かんと思召され
きのう政府をして 米・英・支・蘇四国に 対し ポツダム宣言を受諾する旨
通告せしめられました。
畏くも 天皇陛下に於かせられましては同時に詔書を渙発あらせられ、帝国が 四ヶ国の共同宣言を受諾するの已むなきに至つた所以も 御宣示あらせられ
けふ 正午 畏き大御心より詔書を
御放送あらせられました。この未曾有の御ことは、拝察するだに畏き極みであり 我々臣民は ただ/\詔書の御旨を必謹 誓つて国体の護持と、民族の名誉保持のため、滅私の奉公を誓ひ奉る次第でございます。
謹んで 詔書を奉読いたします。

(詔書)

・謹んで詔書の奉読を終ります。
・聖断の経過
・内閣告諭
・終戦決定の御前会議の様子
・交換外交文書の要旨
・ポツダム宣言受諾に至った経緯
・天皇の大御心による御聖断
・ポツダム宣言正文
・カイロ宣言正文
・共同宣言受諾=平和再建の大詔渙発
・八月九日から十四日までの重要会議の開催経過
十二時三十七分、歴史的な放送は終った。日本の歴史上もっとも衝撃的な放送は、三十七分半で終わった。全三十七分半のうち「詔書」が約五分であり、詔書前後の「君が代」の奏楽や紹介アナウンスの時間を引くと約三十分のニュースということになる。「堪ヘ難キヲ堪ヘ」という昭和天皇のお言葉はセミ時雨の中、全国津々浦々に流れた。
玉音放送には雑音が多く、内容が非常に聴き取りにくかったのは、中継線の減衰によるものであった。
午後三時、午後五時、午後七時、鈴木貫太郎首相の「大詔を拝し奉りて」が放送され、
その後午後九時過ぎまで詔書の奉読やポツダム宣言受諾までの経過が繰り返し放送された。

hiroshiさん

2019/11/311:55:50

当時は一般人の教育も進んでいなかったので殆どの人は理解不能でした、、ただ雰囲気で感じ取って涙を流していたようです、もちろん、ちゃんと教育を受けていた人にはわかりました。
今だって達筆な人の文章は読めない人が多いでしょうが、ちゃんと教育を受けている人にはわかります、昔の事ばかりは言えません。

2019/11/311:45:47

朝日のフォノシートの玉音をレコードプレーヤーで聞いて

ほう、こんなことだったのかぁ

と祖父が言ってました。

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