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ホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説は言語の建築物の理由は何でしょうか? 物語と...

知秋さん

2019/11/2022:00:04

ホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説は言語の建築物の理由は何でしょうか?

物語という物語はあまり見えません。

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ari********さん

2019/11/2110:00:26

ネットの情報によると…

ホルヘ・ルイス・ボルヘスの小説が言語の建築物である理由には以下のようなことが考えられるようです。

・以下の考えに基づく。
本は、ひとつの建築物としてのコンポジションであるし、コンポジションとしての庭園でもある。めくるたびに、ひとつの見開きがある、その見開きはそのつど、ひとつの新たなビューviewを提供してくれる。
四角い枠でくくりだされたところのビュー、その連続で書物はできていて、めくるたびに、そのビューが目の前に開ける、ちょうど、うねうねと曲がりくねる英国式庭園の小径を散策するにつれ、カーヴを曲がるたびに庭師の巧みなわざによって配置された絶妙な展望 view が目の前に次々開けるように。
書物というしろくろユートピアは、そのまま、緻密な配慮のもとに文字と版画が配置された空間としての、庭園、ないし劇場、theatrum mundi ないし博物館であり、それらはおのおの一個のコレクション=ミクロコスモスとして幾許かなりと世界全体を反映する――というような考え方

・世界が一冊の書物であること、その世界が「全体のなかで出現する関係の総体」として顕現しうることを真実として「知っている」

なお、物語という物語があまり見えない理由ですが、以下のようなことが考えられるようです。
・(ボルヘスは)作品の奥深い混沌へと読者を密かに誘導しようとする意志を早々に捨てて、彼の文学世界が迷宮から出来ていることをいち早く標梼する作家である。

・すべての可能性を小説作品として語ることは不可能であろう。しかし、幾つかの可能性で、あれば十分に語ることはできるし、実際、ボルヘスはそのようにして創作している。

・ボルへスは確かに、実際に起こった現象とは別の可能な出来事がその背後に潜んでいることを強く意識している。しかし、出来事が無限に発生していくという現象的世界とは対照的に、この作家の精神構造の中では、自分というものが複数存在していることに危倶が生じているのである。
出来事に対しては多数の可能性があることを主張する一方で、作家自身の自己に関しては複数の自己の存在を認めながらも、これを忌避するところが多分に見受けられる。

・ボルヘスは複数の自己を恐れている。


(ご参考)
http://melanchologia.org/800/871_1.html
http://kiyou.lib.agu.ac.jp/pdf/kiyou_13F/13_56_4F/13_56_4_19.pdf#se...

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