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卑弥呼から神武天皇の間って結構空いてますがこの間に日本を統一してたって事です...

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ID非公開さん

2019/11/2819:12:06

卑弥呼から神武天皇の間って結構空いてますがこの間に日本を統一してたって事ですか?

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2019/12/100:29:08

神武天皇の即位は紀元前660年とされてますが、日本に巨大都市が出現したのは三世紀の卑弥呼の時代の纏向遺跡。
ですから、弥生時代であるはずの時代に巨大な権力が生まれる訳ありません。
そして、神武天皇と決史八代は架空の天皇と考えられ、本当の初代天皇は第10代崇神天皇説が有力です。
卑弥呼は三世紀始め頃の人。
崇神天皇は三世紀終わり頃の人。両者に血統のつながるかは分かりませんが、邪馬台国はヤマト王権の前段階のプレヤマト王権ではあると思います。
崇神天皇は各地に四道将軍を派遣し、日本を統治しました。
次の四世紀は『空白の四世紀』と呼ばれ記録が少ないのですが、半島の高句麗の広開土王碑に倭人が百済・新羅を従えたと書かれてますから、卑弥呼の時代の後、百年以内に日本は統一されたと思われます。

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thr********さん

2019/12/100:45:27

卑弥呼は作り話ですよ。


反日左翼が作り出したもの。


何一つ出土していないのがその証拠。


東北大学名誉教授の田中英道氏。


この動画だったかな?忘れた。
https://www.youtube.com/watch?v=5nPtjTjIwBQ


...............



だって、従軍慰安婦、徴用工、南京大虐殺・・・教科書に載ってたんでしょ?w


あの有名な「士農工商」の身分制度も嘘なのに、反日左翼が作り出したそうですよね嘘を。だから、最近は教科書にはもう載せていないそうです。


世界史だと、四大河文明も嘘だったんですよねw 歴史は嘘だらけwwwww


世界最古の磨製石器が見つかっていのは日本からですよね。


https://youtu.be/ZSX1uvPVzuE?t=96 ←ここかから。文明の衝突。地図が出てきます。

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han********さん

2019/11/2908:36:21

神武が橿原に即位してそれ以降の天皇が畿内を開発して、8代目以降の孝元・孝霊・考安の三代が卑弥呼の時期だからそら間が空いてるわな。

z_x********さん

2019/11/2908:02:20

天皇の年代は誇張があるとしか考えられません。卑弥呼の時代(3世紀)は記紀で言えば第十代 崇神天皇の纏向の宮あたりに相当すると思います。ここでガラッと天皇の雰囲気も変わりますし、それが考古学的な変化とも合致します。そして神武天皇=崇神天皇の同一人物説は根強くあります。

aka********さん

2019/11/2821:32:57

神武王と卑弥呼は大体同時代かと思います。

◎縄文時代
縄文時代に森林で縄文人が縄文文化を営んでました。長江下流から西日本にかけて照葉樹林が茂っていました。長江下流では倭族が温帯ジャポニカ米の水田稲作や高床倉庫や鳥居やしめ縄などの照葉樹林文化や長江文明を営んでいました。倭族は漢人に攻められて四散し、その一部が済州島や対馬や壱岐に渡来し、温帯ジャポニカ米の水田稲作をもたらし、天国(あまくに)を建てました。

◎弥生時代
倭族は九州や本州や四国や朝鮮半島南部にも少人数で渡来して倭人=渡来系弥生人になり、縄文文化を受け入れながらも、菜畑遺跡を初め水田稲作などの弥生文化を広げ、人口が縄文人より増加しました。朝鮮半島からも渡来して、無紋土器や支石墓などをもたらし、土生遺跡などになりました。縄文人と渡来系弥生人は混血して日本人=大和民族になりました。
日本列島は低地が狭かったので、ムラムラが低地や河川や収穫を奪い合って戦い、環濠集落や高地性集落も作られました。勝ったムラはクニになり、対馬の天国(あまくに)の他に委奴(いと)国や出雲王国や吉備王国など百余国が建国されました。対馬の天国の天照(あまてる)王の子孫は出雲王国などを占領しました。国々は戦争を続け、最後まで徹底抗戦して負けたムラは奴隷にされ、被差別部落の起源の一つになりました。
委奴国は支石墓を営み、後漢に遣使して、「漢委奴国王」印を授かりました。天国は沖ノ島で祭祀し、ニニギ王が北九州の日向(ひむか)峠などに天孫降臨して倭国になり、委奴国や奴国などを服属し、甕棺墓群を営み、三種の神器を祀りました。
倭国の末端勢力が東征して、奈良盆地の銅鐸勢力を滅ぼし、ヤマト王国を建てて、神武王になりました。
後漢から魏に変わり、遼東半島には公孫氏が独立し、倭国には公孫氏が脅威になりました。その頃には倭国内は30カ国程に統一が進みました。238年に魏が公孫子を滅ぼしたのに伴い、倭国の卑弥呼王は魏に朝貢したので、今度は倭国にとって呉が脅威になり、有明海沿岸の吉野ケ里ムラを軍事基地にして防衛しました。
ヤマト王国は纏向に倭国以外の諸国連合の施設を営み、西日本各地の様式の土器が集まって、纏向遺跡になりました。

◎古墳時代
高句麗からの渡来人がヤマトや倭国などに古墳文化をもたらし、百済や新羅からも渡来しました。朝鮮半島南端にも倭国が前方後円墳を築きました。392年に倭国は高句麗と戦い、高句麗広開土王碑に記されました。ヤマト王国は参戦せず無傷だったので、古市古墳群や百舌鳥古墳群の巨大古墳を営みました。魏が結局南朝になったので、倭国の五王は南朝の宋に朝貢し続けました。百済王は新羅と対抗したので、倭国と同盟し、倭国王に銘文鉄剣を奉り、江田船山古墳に副葬されました。関東の王は部下に銘文鉄剣を下賜して、稲荷山古墳に副葬されました。摂津の継体王と倭国の磐井王は磐井戦争を戦いました。

◎飛鳥時代
倭国は大宰府を都とし、仏教を取り入れ、倭国王阿毎字多利思北孤(あめのたりしひこ?)は遣隋使を送りました。
一方ヤマト王国は征服した諸国の元王達に古墳の祭祀を禁じ、皇室の祖先神をアマテラスだとし、諸国の元王達の祖先神をアマテラスの子分の神々として序列化し、古墳の代わりに神社を建てさせました。更に外来の仏教を強制し、古墳の造営を禁じて、寺院の建築を推し進めました。
倭国は白村江戦争で新羅や唐に敗れて衰えましたが、ヤマト王国は参戦せず無傷でした。
7世紀末にはヤマト王国が倭国に防人を送って滅ぼし、西日本を統一し、国名を日本とし、その王を天皇と改めました。諸国の歴史書を集め、それらを参考文献にして、「天皇紀」「国記」「帝紀」「旧辞」などを編みましたが、それらは失われ、更に「古事記」「日本書紀」を著し、参考文献を焚書し、倭国の歴史を抹殺しました。

g_d********さん

2019/11/2820:51:09

記紀を普通に読む限り、神武天皇が日本を統一したとは読めません。

普通に読めば神武天皇の領地は奈良盆地の一角に思えます。
神武天皇の時代は確定はできませんがどのように推定しても3世紀~4世紀初めにしかなりません。卑弥呼とは同時代化または少し後の人物となります。

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