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浦和レッズは10年ほど前に「カウンター」からバルサ風の「ポゼッション」にスタイ...

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ID非公開さん

2019/12/308:45:12

浦和レッズは10年ほど前に「カウンター」からバルサ風の「ポゼッション」にスタイルを変更しようとしましたが、その後上手くいったのでしょうか?

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nic********さん

2019/12/310:12:55

ミシャが監督をやってる間は、
完全にポゼッション型で実績を残しました。

ただミシャという監督の弱点でもあるけど、
優勝には一歩届かないことが殆どでしたね。

今は当時の選手の衰えもあり、
戦術も中途半端になって迷走してます。

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hir********さん

2019/12/321:07:36

バルセロナ風は目指していませんでしたが、ちょうど10年前にカウンターからポゼッション重視にスタイルを大きく変えましたね。
フィンケ監督(09年、10年)のときです。

ある程度上手くいきましたよ。
ですが、すごく上手くいったわけではなく、勝負強さがなくなって勝ち切れない試合が目立つようになりました。

また、スタイルの変更と共に、若手の積極的起用も行って世代交代を進めました。
このとき抜擢された選手の1人が原口。

結局のところ、じっくりチーム作りがしたい監督と、今の結果を求める主力選手が対立したこともあって、よくなりそうな雰囲気を感じさせつつも不完全燃焼に終わった形でした。

で、その次のゼリコ・ペトロビッチ監督(11年)で迷走し、フィンケ監督が築いた戦術的によくなりそうな雰囲気は消し飛びました。

で、その次のミハイロ・ペトロビッチ監督(12年~17年)で、ポゼッション重視のスタイルを構築しました。
タイトルこそ1つでしたが、上位を維持していましたし、戦術的にはとても上手くいっていましたよ。

2019/12/311:50:14

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督時代には、超攻撃的サッカーを展開し、歴代最多タイ記録の年間勝ち点74という記録を残しましたが、チャンピオンシップというシステムの存在のお陰で年間優勝には届かず、ミシャ監督時代のタイトルはルヴァンカップ1回のみ。年間を通しては安定して強かったのですが、肝心な試合ではG大阪や鹿島にやられタイトルに手が届かなかった。
そんな状況に耐えきれず、ミシャ監督は更に攻撃的にということで、バランスを崩してまで攻撃偏重になってしまったことやミシャサッカーの対策が浸透したことで、段々と浦和の強さが失われていった。
今もそのミシャサッカーにとらわれている選手が多く、オリベイラの4バックへの変更を反対したりして、サッカースタイルの変化についていけずに迷走している。

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