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人間の運命(運勢)って、生まれながらにして 決まっているものなのでしょうか? ...

aki********さん

2020/1/801:09:12

人間の運命(運勢)って、生まれながらにして
決まっているものなのでしょうか?
それとも、回避の方法を念じていれば、
変わるものなのでしょうか?

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pwu********さん

2020/1/1412:52:46

潜在意識や性格によって運命がある程度決まっていますが
絶対ではありません。
自分の性格の癖を見直し、危ないとわかっていることを前もって知っていると
悪くなる運命も大難を小難に変えることはできます。

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cnntf0qrcさん

2020/1/1101:39:20

生まれ変わりはバラモン教(後のヒンズー教)の中心的概念で
輪廻転生しながら永遠に生き続けるという思想です。
バラモン教のリグ・ヴェーダ経典は世界最古
(おそらくBC1200年頃成立)の残存する経典と言われている)では
睡眠中の夢の内容をそのまま事実の世界と思い込む記述があります。
「自らは眠らず、眠った者たちを観察する」と書かれています。
しかし、古代インド人の特徴は、夢の中の体験を、
目覚めている時にも体験しようと執拗に試みたところにあります。
それが、ヨーガ(瞑想)だと思われます。
ヨーガ(瞑想)に関する教典から、
古代インドのバラモン教の実践者たちが、
現実の世界よりも夢(空想)の世界の内容を
「より真実の世界」であると思い込んでいたことがうかがえます。
ヨーガ行者は夢の中と同じ体験を瞑想の中に求めます。
さらに、夢の中で自由に徘徊する自己、
という考えをエスカレートさせて、
「ヨーガ行者は水上を歩き、蜘蛛の糸の上を歩き、光線の上を歩き、
⋯さらに虚空を自由に行くことができる。」
とか、
「心が身体を離れて外的に働くときは、大離身と言われるのである。
⋯この大離身によって、ヨーガ行者は他人の身体に入る。」
などと書かれてます。
夢の中で「自己」が身体を離れていく現象を、
目覚めている時に意図的につくりだす心理的テクニックが
本来のヨーガ(瞑想=夢想)の目的だったろうと思われますが、
後には、身体を持ったまま空中を飛ぶ、
いわゆる「空中浮遊」などが信じられるようになります。
----------------------------------
一つは「人は死んでも永遠に生きる」という考え方。
もう一つは「人は死んだら無と帰す」という考え方。
仏陀は前者を「常見」、後者を「断見」とし、その両方を批判して、
無我・縁起の立場を「中道」と呼びました。
「毒矢のたとえ」、長尾雅人編集『バラモン教典・原始仏典』
人間は死後も存在するという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということはない。また人間は死後存在しないという考え方があってはじめて人は修行生活が可能である、ということもない。人間は死後も存在するという考え方があろうと、人間は死後存在しないという考え方があろうと、まさに、生老病死はあり、悲嘆苦憂悩はある。
仏陀は、死後の世界については
人間が知ることのできる範囲外なのだから、
ノーコメントだったのです。
仏陀は、「死んでも魂が生き残る」などという
慰めの言葉も語りません。
「こうして、「生まれた者どもは、死を逃れる道がない。老いに達し、そして死ぬ。実に生ある者どものサダメは、まさにこのとおりである。・・・だから、人が死んで亡くなったのを見る時、彼はもう私の力の及ばぬものなのだ、と悟って、嘆き悲しみを捨て去れ。(スッタニパータ、575〜590)」
というのが仏教の死に関する考えでした。
仏陀の教えは、
「現に証せられるもの」、
つまり、現実の世界で実証できるものであり、
「時を隔てずして果報あるもの」、
つまり、未来の果報を約束するものではなく、
今ここでその結果が現れるものであり、また、
「来り見よというべきもの」、
つまり、ここに来て自分の目で確かめよ、と眼前で示すが如く、
はっきりと知ることのできるものであった、と言うのです。
仏陀は、むしろ、死とは人間の終わりであり、そういうものだということをよく知って、生に執着すべきでないことを、教えています。
現実を直視してそこから逃げないことを仏陀は教えます。
これが、仏陀の思想のもっとも基本的な教えの一つである
「無我」の思想です。
仏陀は人間の知識の届かない神秘的な事柄への言及は避けました。
祈祷や呪文や神への捧げ物や宗教儀式や運命判断など、
全く無意味であることを説きました。
神秘的な力によって何事かなそうというような夢事から目覚めて、
何が人間の非苦の要因であるか(縁起の理法)を究明し、
その要因を取り除く道を見つける人のことを、
目覚めた人(ブッダ)と呼んだのです。

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カテゴリマスター

2020/1/821:27:33

運命は、決まっていません。・・・変えられるのが、運命です。

宿命は、決まっています。・・・変えられないのが、宿命です。

運勢は、自分で、強めることができます。


一般的に、「運」と言われているのは、・・・①宿命 ②運命 ③運勢

①②③に、分類できます。

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kay********さん

2020/1/816:39:33

運命とは命の運びと言う意味です。命とは容姿や性格、好き嫌いや得手不得手などその人の個性のことです。人生は一瞬一瞬の判断と行動の積み重ねですが、その判断と行動を決定していのが個性です。この一瞬一瞬の判断と行動の積み重ねが運びであり、その一瞬一瞬の判断がその後の人生を決定づけていきます。

カッコウという鳥は自分で子育てしません。他の鳥の巣に卵を産み付けて子育てをさせます。他の鳥に育てられたカッコウの子供は育ての親の真似をせず、見たこともない生みの親と同じように托卵するようになります。これは遺伝子にどういう生き方をするかということが組み込まれているからです。

遺伝子には容姿や背格好だけでなく、性格や好き嫌い、運動や勉強などの得意なこと不得意なこと、他には好きになる異性のタイプやどんな病気に罹りやすいか等、その人の個性の全てが遺伝子に組み込まれています。それは生まれた瞬間にその人がどういう生き方をするかがある程度は決まっていると言うことです。したがって運命は生れた時にある程度決まっていると言うことになります。

運命は変えられるかということですが。遺伝子の発現にはある程度幅があり自分の意志で変えられることもあります。遺伝子は母親と父親またその両親の遺伝子も受け継いでいます。現在働いている遺伝子でも環境の変化に合わせて発現する遺伝子が変わることもあるのですから、努力によって不得意なことでも上手に出来るようになったり、嫌いだった事が好きになったりするように、自分の意志で発現している遺伝子が変わることもあります。性格も多少は変えることができます。例えば自分の容姿に自信がなくて異性に対して消極的だった人が、美容整形して美しくなったことで異性に対して積極的な性格に変われば結婚相手が変わることもあるはずです。結婚相手が変われば運命も変わります。

人が生きていく上でいつも自分の思い通りに生きて行ける人はいません。他人によって生き方を変えられることもあります。そのとき悩みや苦しみが生じるわけですが、生き方を変えられたことが運命ではありません。運命は悩み苦しみに対峙した時、どう判断しどう行動したかがその人の運命なのです。運命を変えたければ迷った時、苦難に直面した時、どうしたいかではなくどうなりたいのかをじっくり考え、いつもと違うパターンで慎重に行動すれば運命は変わるはずです。

キリスト教は、運命は生れた時に神様がお決めになることになっています。したがって病気になって死ぬのも、事故で死ぬのも、殺されて死ぬのも、すべて神様がお決めになった運命ということになります。そして運命を変えることができるのも神様だけです。神様が奇跡を起こされた時だけ運命を変えることができるのです。九死に一生を得たとき、キリスト教徒は神様が奇跡を起こされたので助かったと考えますが日本人は「運が良かった」という言い方をします。キリスト教は自分で運命を変えることはできませんが、仏教は運命を変えることができると考えています。その理由は運命の元になる原因はすべて自分が作っているという考え方に基づいているからです。

仏教はキリスト教のように結果が決まっているのではなく、始まりは決まっているが結果は決まっていません。前世にどんな生き方をしたかによって生まれる場所が決まると考えられています。たとえば金持ちの家に生まれるか貧乏な家に生まれるかで運命は違ってくるはずです。仏教は前世の生き方(宿業)によって生まれてくる場所が決まります。それが宿命です。宿命とは命に宿っているという意味で遺伝子のことであり、親やその生活環境も含まれ、決定付けられていることを言います。宿命は変えられないが運命は変えることができるというのが仏教の考え方です。生まれた環境の中でどういう生き方をするかで運命は変わるということです。

宿業の業とは行為という意味で、業には身・口・意の三業があります。身とは行動のことで、口とは言葉で、意とは思いのことです。思いはいつか行動や言葉となります。この三業を繰り返し行うと宿業となり、宿業が来世に引き継がれて宿命になるというのが仏教の考え方です。前世の行いは死んだら消えるのではなく、そのまま来世に引き継がれ自分の言動は全て自分に返ってくる(因果応報)ということを示しているのです。 運命は宿命によってある程度決まるが、宿命は前世の生き方である宿業によって形成される。これが繰り返されることが輪廻転生です。

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asf********さん

2020/1/816:01:48

自分でいろいろ選択しますよね。

それと同じように生まれる場所も選んでいるようです。

今世で学びたいこと、体験したいことができる場所を。

旅行の予定みたいなものです。

その予定通りに、守護霊や、ご先祖様、周りの魂たちと
協力しながらこなしていくみたいです。

人生での大きな出来事は、ほぼ予定通りみたいですね。

今世で学びたいことや体験したいことは、魂が望んでいることなので
回避できないと思います。

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