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徳川治宝は、紀伊藩主として、従一位権大納言になれたのは、治宝が名君だから、そ...

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ID非公開さん

2020/1/1107:20:45

徳川治宝は、紀伊藩主として、従一位権大納言になれたのは、治宝が名君だから、それとも

将軍家に取り入ったのか、

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qqm********さん

2020/1/1108:37:08

単に、高齢だつたので、幕府も仕方ないと思った。

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beg********さん

2020/1/1109:19:07

生前の将軍でも就任時は正二位、然るに治宝は生前で事実上の最高官位である従一位で将軍より偉い大名と言えます。
治宝は歴代紀州藩主の中でも名君に数えられ、また当世最高の文化人でもありました。
特に茶道への造詣が深く、表千家を庇護(現在京都の表千家正門も治宝が寄贈)するなど武人より文化人や風流を重視する朝廷のお声めでたかったと考えられます。

lit********さん

2020/1/1108:56:21

治宝は
斉順、斉彊、慶福(後の家茂)

三代に渡って家斉の子、孫を紀州家当主として受け入れた
将軍家=幕府にとってありがた〜い存在だったから

当主に嗣子がいない場合
第一選択となるのは分家から養子を迎えることであり治宝もそれを望み
また家中でもそれを望む勢力があった。

家斉の子や孫を紀州家当主として送り込もうとするのは当然のことながら将軍家=幕府の側の望みであり
自分や家中の意向を抑えてそれを受け入れた治宝へ
功労賞とも言える前例のない御三家当主の従一位叙位となった。

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